「
ハローワークの市場化テストとインセンティブスキーム その7」の続きです。
ハローワークの業務を民間会社に行わせる場合には、インセンティブスキームを作らなければなりません。
適切なインセンティブスキームを作るのが、かなり困難だと思います。根本的な理由は、政府(
プリンシパル)と民間会社(エージェント)の間に情報の非対称性が生じるからです。
政府はこれまで
ハローワークを運営してきましたから、求職者のうちあるカテゴリーに属する人が就職が容易であり、別なカテゴリーに属する人が就職が難しいことを知っています。例えば、しばらく前であれば、若年者は容易で、高年齢者は難しい、健常者は容易で、障害者は難しいといったことです。
しかし、同じカテゴリーに属しているからといって、皆が同じであるはずがありません。人間は多様なのです。例えば、時間にルーズな人、意欲の低い人、転職を重ねている人、面接のときに緊張してしまう人、あがる人、口下手な人、見場が悪い人(失礼)などは、就職が難しいでしょう。また、本来的に能力にはさまざまな差があります。また、高望みをしているかどうかといった問題もあります。
これらは外見からは判断できず、最初は、
どの人がこれに該当するのかある求職者X実際にはどの程度が就職が困難なのかを政府(
プリンシパル)も民間会社(エージェント)も知ることが出来ません。最初は情報の非対称性は発生しません。しかし、民間会社(エージェント)は、面接(カウンセリング)や紹介などをしていく過程で、
どの求職者がこの求職者Xを就職させるためにはどの程度コストがかかる
人なのかを掴んでいきます。一方、政府は、
民間会社に業務を委託したのですから、この求職者Xとは直接のコンタクトを持ちません。面接も紹介もしないのです。したがってこういう情報を知ることが出来ません。この段階で情報の非対称性が発生するのです。
これが求職者へのサービス提供を民間会社に委託することの帰結です。
(2007年5月26日追記 情報の非対称性?さんのコメントを受けて、上のパラグラフに加除を行いました。)
さて、このような条件のもとで、どのような結果が生じるかを、例を使いながら説明していきます。
十人求職者がいて、外見的な情報、どのようなカテゴリーに属しているかによって、そのうち5人は就職が容易、5人が就職が困難であると判断されるとします。そして、実際に就職させるのにかかるコストが同じカテゴリーの中でもさまざまであるとします。ただし、就職が容易であると考えられるカテゴリーに属する求職者の平均コストは、難しいと判定されるカテゴリーに属する求職者の平均コストより低いとします。
政府が非常に素朴に就職1件当たり一定額を支払うというインセンティブスキームを採用したとします。この単価は4であるとします。
結果は次のようになります。
求職者 | 外見 | コスト | 利益 | サービス |
---|
A | 易 | 1 | 3 | ○ |
B | 易 | 2 | 2 | ○ |
C | 易 | 3 | 1 | ○ |
D | 易 | 4 | 0 | ○ |
E | 易 | 5 | -1 | × |
F | 難 | 3 | 1 | ○ |
G | 難 | 4 | 0 | ○ |
H | 難 | 5 | -1 | × |
I | 難 | 6 | -2 | × |
J | 難 | 7 | -3 | × |
求職者
Aはコストが1ですから、さまざまなサービスを提供し、就職させると利益は3です。当然、サービスは提供されます。求職者
B、求職者
C、就職困難なカテゴリーに属する求職者
Fも、コストが単価を下回るので、利益が出ます。やはりサービスは提供されます。求職者
Dと
Gは利益が0なので、実際には微妙です。民間企業は就職件数が多いほうが評判が良くなると考えてサービスを提供すると考えましょう。求職者
Eは容易と判断されるカテゴリーに属していますが、実際には就職が困難で、コストが単価を上回ります。したがって、サービスは提供されません。就職困難なカテゴリーに属する求職者、
H、
I、
Jにもサービスは提供されません。
さて、結果を見ると、6人が就職し、総コストは17、政府の支払額は6人×4=24で、利益は7です。
問題は、実際に就職困難な求職者に対してはサービスが提供されず、就職できないことです。こういう人たちは、本来なら、もっとも政府が支援すべき人なのですから、これは大きな問題です。
何故、このような問題が発生するかといえば、求職者が、実際にどの程度就職が困難なのかを政府(
プリンシパル)は知らず、民間会社(エージェント)は知っているという情報の差、情報の非対称性にあります。この情報の差を利用して民間会社は求職者を選別するのです。もちろん民間企業が利益を目的として行動するという基本的な条件がありますが、これはある意味で当然の行動であって、倫理的な非難の対象とすべきではありません。
さて、この場合、区別しておかなければならないことがあります。
政府であっても担当者の個人的な感情、担当した公務員の質の差によって求職者の取り扱いに差が出ることはありえます。小学校に入学していい担任の先生に当たるかどうかと同じことです。それは民間会社も同じです。規格品ではない人間が人間に規格品ではないサービスを提供するのですから、ある程度やむをえないことです。そして、この場合、必ずしも就職困難な人がサービスを受けられないとは限りません。容易な人にも同様に事態が発生しえます。就職が容易であるかどうかに関わらずランダムに差が出るのです。
しかし、民間会社が行うのは、利益を得られるか、得られないかに基づく体系的な選別、就職困難な人にはサービスを提供しないという行動です。これは、ランダムに差がつくということとは区別しなければなりません。
もう一つ厄介な問題があります。果たして、この結果から政府が、実際に就職困難な求職者に対しては十分なサービスが提供されなかったという事実を知ることが出来るかどうかです。これは不可能です。なぜなら、どの求職者が、実際にどの程度就職が困難なのかを政府(
プリンシパル)が知らないからです。また、求職者にアンケートを取ってみても同じことです。誰が不満を持ち、誰が不満を持たないかを知ることはできますが、実際に就職が困難な人が誰かが分からないのですから、実際に就職困難なグループで不満を持つ人の割合が高いという判断は出来ません。
この情報の非対称性は、いってみればトランプのゲームをするときに、相手はこちらのカードも知っていて、自分は自分のカードしか知らないという状況です。どうしても不利になるのはやむを得ません。
出来るだけ、このような事態が発生しないようインセンティブスキームを工夫しなければなりません。
さて、これまでは、政府(
プリンシパル)が一方的に単価を決めると仮定していました。実際には入札が行われます。そのときに、是非注意が必要なことがあります。それは低価格で応札してくる民間企業がいるという可能性です。いいことじゃないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
例えば先ほどの例で、単価2で応札し落札した民間会社があったとします。この場合、2を超えるコストの求職者にはサービスは提供されません。サービスが提供されるのは、求職者
Aと
Bだけです。単価が低く、採算の合うサービス対象者も少ないので、民間会社の利益は1しかありませんが、落札できなければ利益は0ですから、単価2であっても落札した方がいいのです。成果に応じた報酬というシステムを取ってさえ、このような現象が起こりえます。
これは、典型的な「安物買いの銭失い」です。これに歯止めを掛けるような工夫もしなければなりません。
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