続・非正規社員の雇用・生活保障

非正規社員の雇用・生活保障」で取り上げた論説を大竹先生が「ご自分のブログ」にアップされました。文章の量の限界もあるのだと思いますが、基本的な点でよく分からないことがあります。

大竹先生は、

「不況という負の経済ショックを誰が負担するか、という問題に私たちは直面している。関連する利害関係者は、企業および株主、正規労働者、非正規労働者の3者である。その中で、非正規労働者が集中的に負担しているのだ。」

「新規採用の停止や非正社員の雇い止めをすることが、解雇権濫用法理という判例法理のなかで、企業の解雇回避努力として評価されるいうことも問題だ。」(強調は平家)

と書かれていますが、判決例も含めた広い意味での労働法制の分野ではどのような政策を主張されているのかがよく分からないのです。

まず、少し誤解があるのかもしれません。解雇権乱用法理は確かに存在しますが、これは既に労働契約法第16条(注)という形で法制化されています。

よく分からないのは、大竹先生が、これを容認されているのか、その廃止も求められているのかということです。

(注)労働契約法第十六条  解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

契約は当事者の合意が原則なのだから、合理的な理由がなくても、社会的な通念にそぐわなくても会社側が無期の雇用契約を続けたくなくなり、雇用契約の継続に合意が失われたら契約は解除していいのだという立場は法律論としてありえます。一見すると民法ではそのような規定をしているように見えます。(会社が契約の継続を望まなくなれば、それが合理的な理由だという考え方もあるかもしれません。)また、このように契約の自由を最大限度認める他方が経済厚生が高まるという考え方は、経済学の理論としてありえるでしょう。

この立場に立つなら、一方で、会社はいつでも、誰でも自由に解雇することができ、自由に採用できるということになります。なお、労働者も有期契約でない限り、いつでも辞められるし、自由に就職先を選んでいい、こういう社会的な秩序が望ましいということになります。自由な労働市場が望ましいということです。(人種や性など差別的な解雇が認められないのは、当然視されるでしょう。)

この場合、解雇権乱用を前提としてはじめて成り立つ整理解雇の法理は存在する余地がなくなります。解雇が自由だからです。

このような社会的な秩序が出来上がると、常時労働市場でリシャッフル、活発な離職と採用が行われることになり、不運な時代に社会に出ることになった世代に属し、うまく正社員になれなかった人が救われ、不当な格差がなくなるという主張がありえます。その根底にあるのは、すべての労働者が生産への貢献に応じた賃金で雇用されるという市場システムの需給調整能力への信頼と、そのような分配が公正であるという考え方があるのでしょう。

こういう考えで主張をされているのか、どうなのかよく分からないのです。というのは、上に引用した部分は、解雇権の乱用という考え方そのものは明確に否定されておらず(立法の問題としては、労働契約法第16条を維持した上で)、制定法ではない整理解雇の法理の具体的適用、特に非正規雇用正規雇用の間の解雇からの保護の優劣関係だけを改めるべきだと主張しているという読み方もできるからです。少し詳しく検討してみます。

整理解雇の法理を改めて述べるなら、ある種の整理解雇は解雇権の乱用に当たり無効だという考えを基礎として、どのような整理解雇が解雇権の乱用に当たるか、当たらないかを判断する基準として、次の四つのものを上げているものです。

1 人員削減の必要性(使用者側が必要性の立証責任を負う)

2 解雇回避努力を尽くしたかどうか(使用者側が努力を尽くしたことの立証責任を負う)

3 解雇対象者の人選基準とその適用の合理性(使用者側が合理性の立証責任を負う)

4 労働者との協議などの手続きの妥当性(労働者側が手続きの不相当性の立証責任を負う)

なお、これら4つがすべて満たされていない限り乱用となるのか、4つを総合的に判断して乱用かどうかを判断するのか、裁判所の判断に揺れがあります。

注意が必要なのは、解雇権の乱用がありえるという考え方にたつ限り、裁判を行う上で整理解雇についての解雇権乱用の基準(法理)が必要になるということです。それなしに裁判はできません。なお、下級裁判所で裁判例が積み重ねられていけば、あるいは最高裁判所で判決が出れば、裁判になった場合にどのような判決が出るかが、予め予想できるようになり、社会的な秩序が生み出されます。

大竹先生の主張は法理の2だけを問題にしているようにも読めます。特に、正社員を整理解雇するときに正社員の採用を止めること、そして、有期契約の非正社員の雇い止めをすることを評価することだけが問題だと。というのは、2でも解雇する前に残業を削減したり、休業を行ったりすること(一日の一部の休業は、時短、ワークシェアリングになります。)、希望退職の募集をすることを解雇回避努力として認める(求める)ことは、問題にされていないようだからです。おそらく、形式的には解雇権乱用を認める限り、2をなくせという主張はできないと思います。解雇回避の努力をせずに整理解雇をするというのは、常識的に見て権利の乱用でしょうから。

論説を読んだだけでは、大竹先生の主張がどちらなのかよく分かりません。

以下、現在の労働市場の実態やこれまでの判例を読んだ限りでの空想です。裁判所がどのような判決を出すのか非常実興味深いです。

もし、私が非正社員で、正社員の整理解雇を回避するために雇い止めをされたら、裁判所で、次のような主張をするかもしれません。ただし、会社が「本質的に恒常的で、いつまでという期限がない業務に対して、何かあったときに直近の期間満了時に雇い止めすることによって『解雇』を回避しようとする目的で、」私と「有期雇用契約を締結し、その業務が無事継続している間は、更新に次ぐ更新を繰り返して、事実上無期契約の労働者と同じように使用しておいて、」不景気になったので、「期間満了ですのでさようなら。」といわれた場合の話です。(引用は「こちら」から。)

まず、大前提として、私の雇い止めは 「形式的には有期契約の期間満了であるが、実質的には無期契約の解雇に当たる」から労働契約法第16条の適用があると主張します。(同)

これが認められれば、整理解雇の法理の話になります。そこで、まず、1の必要性がないとして、会社に証明を求めます。

次に、2について、私を雇い止めする前に正社員の残業の削減や休業、操短、特に正社員に対する希望退職の募集を実施していなかったので、会社は解雇回避義務を尽くしていないと主張します。

さらに、次のような根拠で、3の「解雇対象者の人選基準とその適用の合理性」がないと主張します。

相当な期間勤続し、これまで会社に相当な貢献をしてきた。就業規則などにも違反していない。主婦のパートや学生のアルバイトなどとは異なり、私には養うべき家族がいて、住居も含め家族全員の生活のすべてが掛かっており、解雇された場合の打撃が著しく大きい。しかも、中年である私は、雇い止めされた場合再就職が著しく困難である。正社員の中には、これらの点から見て、私より先に解雇対象とすべきものがいる。

なお、もし、契約期間が満了した有期契約の非正社員の中で雇い止めされていないものがあれば、非正社員の中での人選の妥当性についても争います。

加えて、4の労働者との協議などの手続きの妥当性について、次のような主張もします。

 今回の整理解雇について会社は、一方的に、契約期間の満了の順に雇い止めをしているだけで、雇い止めの必要性とその規模、人選の基準について非正規労働者との話し合いをしていない。

補足的な主張として、「有期契約であるが故に職を失う確率が高いのを補うような賃金はもらっていなかった。だから正社員の解雇より先に雇い止めされるいわれもない。」とも主張します。

ただ、このような主張が通ったとしても、次の問題は残ります。

1 解雇対象者の合理的な人選基準とその合理的な適用を通じて、個々の労働者の間で雇用保障の強弱に差が出てくることに変わりはありません。特定の属性を持つ労働者が景気変動の負担を集中的に負うという結果は出てくることはありえます。それが不合理だ、社会的正義に反すると感じる人は必ず出てくるでしょう。

2 正社員の新規採用のストップはやむを得ません。これを何とかしようと思えば、解雇自由の原則を貫徹するしかありません。そうした場合、企業の自由を奪う故に、企業にとってプラスの結果が生じるという社会的な利益は失われます。

3 不景気のときに採用が減るのはどうしようもありません。そして、景気がよくなったときにも職歴がないことが就職に不利であるという恐れは十分にあります。社会に出る時代のよしあし、運不運の問題は景気循環がある限り、

避けられません。

人気blogランキングでは「社会科学」の24位でした。今日も↓クリックをお願いします。

人気blogランキング