非正規社員の雇用・生活保障

2008年12月26日の毎日新聞のオピニオン欄が「どうする非正規雇用の大量解雇」という特集を組み、大阪大学の大竹先生、関根秀一郎派遣ユニオン書記長、川本裕康日本経団連常務理事が論説を書かれています。私は「大竹先生の論説」に思考を刺激されました。hamachanさんは、「大竹先生の論説に大いなる共感」を示されています。読者に全体を理解していただくために順番どおり引用します。引用が多くなって恐縮です。番号は平家が振ったものです。

1「非正規労働者は、正規労働者よりも賃金が低い上に雇用も不安定なのだ。」

2「正社員では、雇用調整も賃金調整も難しいからである。」

3「正規労働者の雇用と賃金を守るために、非正規労働者の雇用に集中的に影響が出ているのは事実である。」

4「不況という負の経済ショックを誰が負担するか、という問題に私たちは直面している。」

5「2002年以降の景気回復期には、企業収益が増加し続け、株価が高騰したのもかかわらず、労働者の賃金は上昇しなかったことを忘れてはならない。」

6「好況期に積み上げた内部留保を使って企業が雇用を維持するのが筋であろう。」

7「正社員の既得権益を守るために非正社員に負担を押し付けていいだろうか。」

8「非正社員が不安定な雇用と引き換えに高い賃金をもらっていたのだろうか。実態は逆である。」

9「正社員と非正社員の不当な格差を温存することのコストは大きい。」

10「たまたま、就職氷河期に学校を卒業しただけで、非正社員になって、低賃金の上に景気変動の影響を大きく受ける。これほど理不尽なことはない。」

11「新規採用の停止や非正社員の雇い止めを企業の解雇回避努力義務として評価している判例法理も問題だ。」

12「企業も正規労働者も自ら分配問題を解決できないということであれば政府の出番である。」

13「好況期の過大な内部留保から便益を受けた資本家や高所得層の課税を強化し、低所得者へ所得を再分配するか、公的支出を増やして、職を失った人を雇用すべきである。教育・保育・介護等不足分野は多い。」

14「90年代の不況を就職氷河期の若者にしわ寄せし、今回の不況で彼らにとどめを刺すというのが、日本人の不況対策だとすれば情けない。」

この論説の基本的なモチーフは、14「90年代の不況を就職氷河期の若者にしわ寄せし、今回の不況で彼らにとどめを刺すというのが、日本人の不況対策だとすれば情けない。」というので、これは広く共感を呼ぶでしょう。私もそのとおりだと思います。

4「不況という負の経済ショックを誰が負担するか、という問題に私たちは直面している。」という正確な認識の下に、明示されている政策論は二つあります。

まず、企業による雇用確保です。

5「2002年以降の景気回復期には、企業収益が増加し続け、株価が高騰したのもかかわらず、労働者の賃金は上昇しなかったことを忘れてはならない。」

6「好況期に積み上げた内部留保を使って企業が雇用を維持するのが筋であろう。」

ここはhamachanさんが「連合の要求と見まがうばかり」と評している部分です。問題は、政府にはこれを企業に勧めることはできても、効果的に誘導する施策もありそうになく、まして強制は不可能であることです。労働組合は、企業との協議や交渉を通じてこれを実現できるかもしれません。労働組合運動に期待するしかないでしょう。

おそらく大竹先生もそのことは理解されていて、12「企業も正規労働者も自ら分配問題を解決できないということであれば政府の出番である。」と展開されます。ここでこの問題を分配問題であると認識されていることに注目です。大竹先生はご自身のブログの「あるエントリー」で次のような主張をされているからです。

「つぎのように考えれば、矢野氏の主張は、整合的に理解できるかもしれない。それは、日本企業のガバナンスが、株主主権ではなく、正社員による従業員主権だ、ということを矢野氏が批判してきたと理解することだ。私はESPという雑誌の2008年9月号に『日本の成果配分をめぐって』という論説を書いた。そこでの分配問題における日本の事実認識のポイントは、日本企業の内部留保や投資が株価に反映されていないというアルバート・アンドー教授と齊藤誠教授の発見と労働者の間での二極化である。前者は、企業の内部留保が、非効率であることを反映している。非効率な投資がなされているくらいなら配当に回せというのが、株主からの要求だ。一方、株主からしてみれば、極度に正社員を減らして技能継承が問題になったり、正社員の長時間労働で不良品が増えたりすることの方が、非正社員による経費削減効果よりも株価にマイナスの影響を与えると判断するかもしれない。」

ここでは、(大)企業の中で株主、正社員、非正社員の三者間で分配が行われ、分配について最大の発言力を持っているのは株主ではなく正社員であるという認識があります。

13「好況期の過大な内部留保から便益を受けた資本家や高所得層の課税を強化し、低所得者へ所得を再分配するか、公的支出を増やして、職を失った人を雇用すべきである。教育・保育・介護等不足分野は多い。」

ここもhamachanさんが、次のように高く評価しています。

「同じ労働者の間でのワーキング・プアとワーキング・ミドルとの格差是正を求めるとともに、大竹先生は言葉の正確な意味におけるノンワーキング・リッチにこそ、その原資を求めよと、原点に戻った正論を述べます。

実際、現代日本の最大の問題は、高齢層に多い言葉の正確な意味でのノンワーキング・リッチがそのリッチさに比してお金を使わずに貯め込んでしまっていることにあると思います。

ワーキング・ミドルは年功制のおかげで何とか生活費を賄えているが、若いワーキング・プアはそれすら賄えないわけで、マクロ的にはどこからどこに移転すべきかは明白でしょう。」

これについては、普通の日本の不況への処方箋としては私も基本的には賛成です。もっとも、内部留保が過大でであったかどうかには疑問を持ちます。もし、現在のような事態を想定していたとしたら、内部留保を反映しなかった株式市場参加者のほうが不完全であった可能性があると思うからです。

政策論はもう一つあり、こちらは暗示にとどまっています。

7「正社員の既得権益を守るために非正社員に負担を押し付けていいだろうか。」

9「正社員と非正社員の不当な格差を温存することのコストは大きい。」

10「たまたま、就職氷河期に学校を卒業しただけで、非正社員になって、低賃金の上に景気変動の影響を大きく受ける。これほど理不尽なことはない。」

11「新規採用の停止や非正社員の雇い止めを企業の解雇回避努力義務として評価している判例法理も問題だ。」

hamachanさんは、この部分についても、「中高年の正社員層にも反省を求めます。このあたりは、本ブログでも何回か書いてきたように同感するところが多いところです。」と賛意を表明しています。11の判例法理批判についても賛成してい(るように読め)ます。

この政策論を支える現実の問題は次のようなものと認識されています。

1「非正規労働者は、正規労働者よりも賃金が低い上に雇用も不安定なのだ。」

8「非正社員が不安定な雇用と引き換えに高い賃金をもらっていたのだろうか。実態は逆である。」

3「正規労働者の雇用と賃金を守るために、非正規労働者の雇用に集中的に影響が出ているのは事実である。」

2「正社員では、雇用調整も賃金調整も難しいからである。」

私が刺激を受けたのはこの部分です。特に1と8です。これは私にとっては一つのパズルです。

大竹先生の想定のとおり企業の中で正社員が主権を持っていれば、自分たちには安定した職を、非正社員には不安定な職を割り当てることは不可能ではありません。しかし、その場合でも不安定な職に安い賃金で就けと非正社員に強制できるわけではありません。不安定な職であれば労働市場でその不安定さを補うリスクプレミアムがつくというのが自然な姿でしょう。なぜ、そのようなプレミアムが発生しないのでしょうか?正社員に主権があるとしても、それは企業内しか及びません。外部労働市場をコントロールし、自分たちの決めた低賃金で非正社員を雇い入れられるとは限らないのです。なぜ、1と8の現実を企業の正社員主権だけで説明することはできません。何か、もう一つ別の要素が必要でしょう。今、それが何なのかを考えているところです。

もし、不安定な職にそれなりのリスクプレミアムがついていて、しかも低賃金になっているということであれば、正社員と非正社員の労働の質、仕事に差があるか、正社員たる地位には、例えば拘束性が強いとか不払い残業をしなければならないといったマイナスがあり、そこに別のプレミアムがついていると考えられます。また、「保守親父@労務屋さんが主張される」ように、「わが国の労使(典型的には製造業の大企業労使)においては、「雇用確保」「労使協議」「公正分配」という原則(≒ルール)のもとに生産性運動に取り組み、企業の成長と業績の拡大、従業員(おもに生産性運動に主体的に参加するカテゴリである正社員)の労働条件・生活の改善を実現してきました(その過程で従業員の能力が伸び、意欲も高まっていたことも言うまでもありません)。正社員がこれに積極的に参加するためのインセンティブとして「正社員一人あたり所得を増加させる」「景気変動による所得変動リスクや解雇リスクも小さくする」ということが機能してきたことも間違いないでしょう。」のであれば、生産性運動に(時に賃金の支払いなしで)参加するという義務があった可能性もあります。

仮定の話ですが、そうであれば9の「正社員と非正社員の不当な格差」は実は不当ではない可能性が出てきます。また、7の「正社員の既得権益」は(暗黙の)契約を結び、その契約上の義務を履行することによって、手に入れたものであるということになります。誰かが住宅ローンを組んで、マンションを買い、そこに住んでいたらそれを既得権益と呼ぶべきでしょうか?契約に基づいて義務を果たし、それによって得た権利を既得権益と軽々しく呼ぶべきではありません。

余談ですが、既得権益という言葉は、中立的なものではなく、否定的なニュアンスを持っています。代償を支払って手に入れたものをこう呼ぶのは適当でしょうか?「既得権益」という言葉を使うとそこでそう呼ばれたものが悪いものであること、それを持っているものは悪い人間であることが自明とされてしまい、議論打ち切りになってしまいがちです。既得権益とは何を本質とするものなのかを予め示すべきです。この言葉を聞くと「持てる国と持たざる国」という日本を誤らせた議論を思い出してしまいます。こういう言葉が無定義で使われることは、日本の社会が病んでいることを示すものでしょう。

契約に基づいて手に入れた権利、労働組合の努力によって手に入れた権利は、それに伴う義務の履行があったはずです。それを「既得権益」の名の下に一方的に切り捨てることは、財産を没収するのと変わりがありません。市場メカニズムを破壊しかねません。また、努力を払う意欲を失わせかねません。

非正社員が多くの問題を抱えていること、そのようなシステムに多くの問題があることはそのとおりです。それを解決するため正社員や株主との分配の修正が必要であることも、おそらく正しいでしょう。しかし、既得権益といった言葉を使った正社員攻撃をすることで、正しい解決策が見つかり、社会的な合意が得られるとは思えません。

正社員と非正社員の間に雇用保障、生活保障の差が一切あってはならないということもありませんし、いくらあってもいいということでもないでしょう。おそらく、労使の対話を通じて、また、正社員と非正社員の対話を通じてあるべき姿を探っていくべきでしょう。政府が行うべきことは、そのための環境整備でしょう。利害関係者というよりも、当事者である彼らを排除して、理論的に正しいあり方を決めることも、決める権利も誰にもないはずです。

なお、川本裕康日本経団連常務理事の論説も有益です。特に、有期雇用の労働者を期間満了前に「解雇」使用としている使用者(派遣業者)、「解雇」されようとしている労働者(とその支援者)にはぜひ読んでいただきたい内容です。

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