社会人のための『新しいマクロ経済学』解説 その40

今回は、「3.1.4 裁定市場と市場の効率性」の解説です。前回示した「粗割引率1+rはp2÷p1、つまり将来財と現在財の相対価格に等しい」理由をもう一度考えます。

ここで重要なのは、裁定取引、あるいは裁定機会という概念です。社会人の中には現実の裁定取引を知っている方と知らない方がいます。どちらにとっても経済学で言う裁定機会、裁定取引は誤解しやすい概念です。

まず、経済学で言う裁定取引を説明していきます。

社会人のための『新しいマクロ経済学』解説 その39」で説明した(3.2)式ではq1=d2÷(p1÷p2)の等号が成立しています。

この式に出てくる記号の意味は次のとおりです。

q1:d2単位の将来財を受け取る権利(だけ)のある債券1単位の現在の価格、現在財で表されていますのでこの債券1単位は現在財q1単位で売ったり買ったりできるということです。

d2:この債券を持っていると将来受け取ることのできる財の量です。

p1:現在の市場(現在財市場)で成立している現在財の価格(正の値であるとします。)

p2:現在の市場(将来財市場)で成立している将来財の価格(正の値であるとします。)

今、この等号が成立しておらず、q1>d2÷(p1÷p2)となっているとします。()をはずすとq1>d2÷p1×p2です。価格は正ですので両辺にp1をかけても不等号の向きは変わりません。q1×p1>d2×p2です。さらに両辺をp2で割りますが、このときも不等号の向きは変わりません。

q1×p1÷p2>d2・・・(X)

このとき、消費者が1単位の債券を発行したとします。これを取引1と呼びましょう。債券1単位と引き換えに、現在q1単位の現在財を受け取ります。この財を消費せずに現在財市場で売ってq1×p1の購買力を手に入れることができます。これを取引2と呼びます。同時にこの購買力で将来財を買います。これを取引3と呼びましょう。どれだけの将来財を買えるかというと、(q1×p1)÷p2単位です。ここまでが現在行う取引です。

将来が来ると、この消費者は取引3に基づいて将来財(q1×p1)÷p2単位を受け取ります。同時に取引1によりd2単位の財を債券の持ち主に引き渡さなければなりません。

(x)式の左辺が受け取る財の量であり、右辺が引き渡すべき財の量です。引き渡すべき財の量のほうが少ないので、契約を完全に履行した後に消費者の手元にはq1×p1÷p2-d2だけ財が残ることになります。これを消費すれば効用は増加します。

注意が必要なことが二つあります。

まず、取引の元手の問題とリスクの問題です。

この利益を得るために消費者は何らかの元手を必要とするでしょうか。取引1の債券発行は別に元手を必要としません。取引2は取引1で得た購買力を使うだけ(借りた金を使うだけ)ですから元手は必要ありません。取引3は取引2で得た現在財を将来財に交換するだけですから、やはり元手はいりません。要するにこの消費者は元手入らずで将来にq1×p1÷p2-d2の財を手に入れていることになります。言い換えると、この財は資本投下に対するリターンではありません。

次に、リスクの問題です。この取引に何らかのリスクは存在しているでしょうか。現時点で債券、現在財、将来財の価格が決まっているので、価格変動に伴うリスクはありません。また、契約は確実に履行されるとすれば、他のリスクも存在しません。つまり、この取引にリスクはありません。また、言い換えると将来手に入るq1×p1÷p2-d2の財は、リスクテイキングに対する報酬でもありません。

(x)式を満たすような債券、現在財、将来財の価格体系、q1、p1、p2が成立していると、元手も要らず、リスクもない取引で、将来に財を手に入れられます。すると、消費者は必ずこの取引を行うでしょう。その結果、債券が大量に発行され、債券市場にあふれることになります。そして将来d2の財を受け取る権利を持つ債券の価格q1は低下していきます。どこまで低下するかといえば、(3.2)式が成立するまでです。

この状態になると、新たな取引を行う誘因はどこにもなくなります。

(x)式とは逆の向きの不等号が成立するときは、逆の動きが生じ、やはり(3.2)式が成立します。

さて、経済学で言う裁定機会とは、元手もリスクもなしに利益を上げられる取引を行う機会のことです。そして、このような機会を利用して確実に収益を上げる取引を裁定取引といいます。(テキストでは取引を機会と呼んでいますが不正確だと思います。)

そして、裁定取引を行った結果、裁定機会がなくなることを、「裁定機会を取り尽くした」と表現します。そして裁定機会が取りつくされてなくなった市場のことを経済学では「効率的な市場」といいます。「効率的な市場」では、(3.2)式が成立するような価格体系が成立しています。

(3.2)式が成立しているということは、ある資産の将来収益をその率で割り引いたときに時の価値が現在の資産の価格に等しくなるような割引率=現在財と将来財の価格比)が市場で成立しているということでした。別ないい過渡をすると割引率≡現在財と将来財の価格比がそのような値になるような価格体系が市場で成立しているということです。

したがって、

市場で裁定機会が取り尽くされていること、

市場が効率的であること、

資産価格が将来収益の割引現在価値に等しいこと

は、同じことです。

ここで、日常使われる裁定取引との差を考えて見ましょう。いま、金がプラチナに比べて異常に高くなっています。金が割高で、プラチナが割安なのです。もし現在、プラチナを買い、金を空売りしておき、将来価格比が正常化されたときにプラチナを売り、金を買い戻すと利益が出ると予想して、金売りプラチナ買いをすることがあり、これを金とプラチナの裁定取引と呼ぶことがあります。しかし、この取引は元手が要り、かつ金やプラチナの価格が予想通りに動かないというリスクがあります。ですからこれは経済学で言う裁定取引ではありません。

もう一つ日経平均株価指数の先物が取引されています。この場合、現物が割安、先物が割高のとき現物買い先物売の取引が行われ、これを普通裁定取引と読んでいます。この取引は特別清算日まで持てば、必ず利益が出ます。その意味ではリスクがありません。しかし、証拠金という形で元手が要りますし、また、清算日までの間では価格変動リスクがります。したがって、これも経済学で言う裁定取引ではありません。非常に近いものではあります。

ついでですが、効率的な市場というのも日常用語とは違います。日常用語であれば、大量の取引を、迅速、確実にそして大きな価格変動をもたらさないように、かつ、安い手数料で実行できるような市場を効率的と考えることが多いでしょう。経済学の用語とは差があります。

(続く)

人気blogランキングでは「社会科学」の35位でした。今日も↓クリックをお願いします。

人気blogランキング