生活保護と最低賃金 その2

今回取り上げるのは、本田先生が「あたりまえのこと」のコメント欄で主張されている、いわゆる「買い叩き」の問題です。

まず、前提として、労働者は、労働サービスを売り急ぐ傾向があるのは確かです。

ひとつには、生きていくためには、毎日、毎日、衣食住が必要で、節約には限度があります。また、労働者本人だけなら、こんな賃金なら働かないと決められても、家族、特に子供や老人がいれば働いて現金を手に入れざるを得ません。意地を張って入られないのです。また、労働者が気軽に利用できる低金利のローンはほとんどありません。今日、現金が要るというのは決定的です。

また、商品なら今日売らずに明日売るということが可能ですが、労働サービスの場合そうはいきません。今日働かなければ、明日二倍働けるということはありません。

さらに、今日働いていないことが、この人は労働者としての質が低いという予断を生みかねません。今日働かないことが、明日の不利を生みかねないのです。

また、労働者は最善の職場を見つけ、そこで働くということが難しい事情があります。

ひとつには、移動の問題です。日本中どこでも良いということであれば、職をみつっけられる労働者でも、家族がいたり、住居があったりして、自由には動けません。どこかへいこうと思っても、引越し費用がない、赴任するための旅費がないといったことは、十分ありえます。

また、労働市場では、情報が十分流通していません。いい職場があっても、それを見つけられないことはあるはずです。

このような状況の下で、使用者側が有利な立場を占めることは十分ありえます。ここでは適正な市場メカニズムが働きません。そこで、「買い叩き」が起こる可能性はありますし、それを阻止するのは、最低賃金の機能の一つ、「公正競争の確保」、です。

しかしです、「買い叩き」にならない賃金の水準が生活保護の水準だという保障もまたありません。生活保護の水準は労働市場での「買い叩き」阻止を目標として設定されるわけではありません。

現実の賃金が労働者が発揮している生産性未満である場合を考えて見ましょう。あまり、厳密に言えば限界生産性との比較でしょう。ここではあまり厳密にやるのにふさわしい場所だとも思えませんので、ラフな議論で進めます。これがある意味で「買い叩き」、価値以下の値段しか払わないとい意味で、でしょう。

この場合には、最低賃金を生産性の水準まで引き上げても、雇用は減りません。使用者の利益は減るでしょうが。

しかし、生産性以上の水準に最低賃金を引き上げれば、そこでは雇用が失われます。それもある程度はやむをえないと思います。賃金の上昇との引き換えですから。

しかし、果たして生活保護と同水準まであげたらどれぐらいの雇用が失われるかは分かりません。保護水準、経済、労働市場の状況によって変わるものです。

最低賃金は、労働市場の状況、経済の状況、低賃金労働者の生活、引き上げた場合に失われる雇用、これらを考えながら慎重に設定すべきものだと思います。

こう考えると、生活保護の適切な水準を決める原理と最低賃金の適切な水準決める原理は別だと思います。関連はしているにしても。

したがって、生活保護の水準にあわせて自動的に最低賃金を決めるのは、不適当だと思います。

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