生活保護と最低賃金 その1

「あたりまえのこと」でしょうか?」に、本田先生からお返事をいただきました。(「あたりまえのこと」のコメント欄をご覧ください。)また、質問もいただきました。単なる質問というよりも反論というほうが正確かもしれません。

さて、「低生産性の労働者」という私の表現が、その労働者がどんな状態の下でも生産性が低いというように理解されるかもしれないということに思い至りませんでした。

労働者の生産性は、勤務している企業の資本、技術、配置、そしてその企業が生産している財やサービスへの需要によって変わってきます。しかし、同時に他の条件が等しければ、労働者間で生産性に差が出るということも、また事実です。労働者は規格品ではなく、能力も様々です。

以上を前置きとしまして、企業はなるべく高い生産性を労働者に発揮させようとするものです。また、流動性の高い労働市場では、ある労働者により高い生産性を発揮させることのできる企業は、財・サービスに対する需要があるのであれば、他の企業に勤めている労働者でも採用します。また、労働者もなるべく高い生産性を発揮してし、高い賃金を得ようとする傾向があります。(もちろん、必ずしもすべての労働者が高い生産性を発揮しようとするのでもありません。楽な仕事のほうがいいという労働者もいますし、それはそれで労働者の自由です。)したがって、市場メカニズムの下では、基本的には労働者の持っている潜在的な生産性は現実に発揮される傾向があると考えていいでしょう。

私が「低生産性の労働者」という表現で言いたかったのは、このような市場の中で現実に発揮されている生産性が低い労働者のことです。

さて、労働者の生産性が、様々な理由によって低いとき、そのような生産性に見合った賃金で労働者を雇うということをどう評価するかという問題です。

生活保護を国が最低限の生活水準を国民に対して保障するシステムとして考えるなら、これは国が国民に対して負う義務と考えるのが普通でしょう。素朴すぎるかもしれませんが、これが福祉国家の理念でしょう。それを実行するために、国家は税金を集めることができます。

そこで、単身者に対する生活保護の金額を法定労働時間で割ったもの(単身者を本田先生は想定されているのだと思います。)考えると、1時間当たりいくらという具体的な金額になります。

この金額以下で労働者を雇用することは、刑罰を課して禁止しなければならないほどの「悪」なのだろうか?これが、私の基本的な疑問です。

福祉国家のどの程度の生活を保障しなければならないか、国家の義務と刑罰を持って禁止しなければならない「悪」は次元が違う問題であると思います。国が保障すべき生活保護の水準から、直ちに使用者(企業)に刑事罰を課して禁止すべき賃金の水準が引き出せるものでしょうか?

以上が理念の問題なのですが、これとは別に現実の問題として、生活保護の水準は国の財政によって左右されます。生活保護予算の問題です。国の財政が好転し、生活保護水準が上がれば、刑罰を科すべき賃金の水準も上がる。逆に国の財政が悪化して、生活保護の水準が下がれば、刑罰で禁止される賃金の水準も下がる。刑罰というのは国の財政状態によって左右されていいものでしょうか?

市場の不完全性(買い叩き)や雇用とのバランスなど他の論点は、また別にエントリーを起こす予定です。

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