「あたりまえのこと」でしょうか?

本田先生が、「もじれの日々」で、こんな御主張をなさっています「あたりまえのこと」。 注 本田先生が「もじれの日々」を非公開にさましたので、リンクが切れています。(2006年8月29日追記) 「オベリスクとエッフェル塔」で始まったhamachanさんとのやり取りと重なるところがあるので、少し、質問をしたいのですが、長すぎるのでTBにしました。ひょっとすると、誤解を招くかもしれないので、私は揚げ足取りをするつもりもないし、先生に悪意を持っている者でもないことを、あらかじめお断りしておきます。 先生の御主張を再現すると、こうなります。番号は私が付けたものです。 1 また、賃金に関しても、これも最近かまびすしいワーキング・プアをめぐる議論に関連してくるが、法定の最低賃金が低すぎることがまず取り組まれるべきである。 2 賃金は必ずしも生産性を反映しているわけではなく、現在の最低賃金は適正な市場メカニズムがもたらした結果であるという根拠もない。 3 企業にとっては労働者に払う費用は安ければ安いほどよいのであり、現在の最低賃金がそうした企業の放埓にとって都合がいいものであるというだけである。 4 最低賃金を労働者の生産性と明らかに乖離しているといえるほどの高水準に引き上げることはむろん現実的ではないが、少なくとも生活保護水準と同レベルまで引き上げることが絶対に必要なはずだ。 いくつか分からないことがあります。 2の「現在の最低賃金は適正な市場メカニズムがもたらした結果である」という部分ですが、もし「最低賃金」が法定最低賃金のことであるなら、これは、本来、市場メカニズムで決まるものではありません。厚生労働大臣か労働局長が決めるもので、行政的なプロセスで決まるものです。 そもそも、というと大げさですが、最低賃金というのは賃金ではありません。賃金は労働サービス、あるいは労働力商品という方もいらっしゃるでしょうが、が使用者と労働者の間で取引され、その条件の一部として決まり、使用者が労働者に支払うものです。最低賃金はそれ未満の賃金での取引を禁止する、そのための基準ですから、これは賃金とは区別すべきものです。 こういうことは、本田先生はご承知のはずなので、引用した部分には、多分別な意味を込めてられるのだろうと思います。最低賃金を決めるときの、ひとつの基礎となっている、現実の低賃金の決まり方について、「適正な市場メカニズムがもたらした結果」ではない、つまり低賃金層については、市場メカニズムが必ずしも有効に働いていないと、おっしゃっているのではないかという気もするのですが、あまり自信がありません。もしそうなら、処方箋として市場メカニズムが有効に機能するようにするというものもありえるのですが、先生の御主張とは合わない気がしますので。 先生のおっしゃりたいことが分かるようで、よく分からず、うまく言葉にできません。もう少し、ご説明いただけるとありがたいです。 4についてですが、なぜ、「少なくとも少なくとも生活保護水準と同レベルまで引き上げることが絶対に必要なはずだ。」ということになるのでしょう? そもそも、「同レベル」というのは最低賃金で何時間働いたときに「同レベル」と考えるのでしょうか?ひょっとするとたとえ1時間しか働かなくともということでしょうか? また、「少なくとも生活保護水準と同レベルまで引き上げ」れば、生産性が低い労働者は、失業することになりますが、それでいいのでしょうか? あるいは、低賃金労働者の生産性に見合った水準に最低賃金を定め、それに生活保護をあわせるということでしょうか?多分、御主張はそうではないと思いますが。 もうひとつの可能性として、低賃金層の生産性は少なくとも適正な生活保護の水準に達しているはずだと、判断されているのでしょうか? なお、私は、「オベリスクとエッフェル塔」でも書いたように、二つの制度を相互に補完させることによって、望ましい成果がえられると考えており、生活保護の水準と最低賃金が一致する必要はないと思っています。 人気blogランキングでは「社会科学」の15位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング