補完性の原理

地方分権と福祉」で触れた「補完性の原理」ですが、その淵源は「ローマ教皇ピウス11世」の回勅”Quandragesimo Annno”にあるといわれています。回勅というのはローマ教皇が全世界の司教に送る手紙です。 「この回勅」は、1931年に出されたもので、148パラグラフのものです。出された時代の背景やカトリック教会の立場を反映しています。大恐慌の2年後、イタリアはファシスト政権下でしたし、ドイツではナチスが政権に近づきつつあったときです。全文ではありませんが、関連する部分を翻訳してみました。本物はラテン語ですが、この翻訳は英語からの重訳です。なお、聖書などを踏まえた部分もあると思うのですが、よく分かりません。数字はパラグラフの番号です。 なお、この方はローマ教皇として1922年から1939年まで在位されていて、厳しい時代の中で相当苦労されたようです。この回勅は全体主義への抵抗という意味合いもあるのかもしれません。 76 健全な哲学の原則に従って社会の秩序を再建し、神の法の崇高な教訓に従ってそれを完成することに私の前任者レオ13世は彼の思考と配慮を振り向けていたが、私がここまで富の公平な分配と公正賃金について述べてきたことは、個人に関することで、社会の秩序には間接的にしか触れてこなかった。 77 それでも 彼が適切なやり方で始めたものを確立し、為すべきものとして残されていることを完成させ、莫大な豊かな利益を人類の家族に生じさせるためには、二つのこと、組織の改革と道徳の是正が特に必要だ。 78 組織の改革について話すとき、国家が主に心に浮かぶ。国家の活動から普遍的な良きものが国家の活動から期待されるかのように心に浮かぶのではなく、私が「個人主義」という言葉で呼んだものの悪を通じて、様々な種類の団体を通して高度に発達していたあの豊かな社会生活が打ち倒され断絶させられた後に、事実上個人と国家だけが生き残るという道をたどってきてしまったから、国家が心に浮かぶのだ。これは国家そのものにとっても大きな危険である。社会の統治の構造が失われ、朽ち果ててしまったアソシエーションがかつて担っていたすべての責任を引き受けることになったからだ。国家はほとんど無限の任務と義務に圧倒され、押しつぶされてしまった。 79 歴史が十分に証明しているように、条件が変化したために以前は小さなアソシエーションが行っていた多くのものが現在では大きなアソシエーションでしか行えなくなっているのは本当だ。しかし、あのもっとも重要な原則、脇に置いたり変えたりできない原則、社会の哲学にしっかりとゆるぎないものとして残っている。つまり、個人が自らの発意と努力で達成できることを個人から取り、共同体に与える、これは重大な誤りであり、小さな下位の組織ができることを大きな上位のアソシエーションに割り当てる、これも不正義であり同時に深刻な悪であり、正しい秩序のかく乱である。というのは、すべての社会的な活動は、その本来の性格から、社会組織のメンバーに援助を与え、決してそのメンバーを破壊したり吸収してはならないからである。 80 したがって、国家の最高当局は、下位のグループに重要ではない物事や関心事を取り扱うに任せるべきである。さもなければ、そういったことは最高当局の力を雲散霧消させてしまう。こうすることによって、国家は国家だけができるので、国家だけに属しているすべてのことを、例えば状況により求められ必要が要求する、命令、監視、勧告、規制などをより自由に、強力に、効率的に行うだろう。したがって、権力をもつものは、「補完的な機能」の原則に従うことによって、さまざまなアソシエーションの中で保障された秩序がより完璧に守られるほど、社会的な権威は強くなり、効率性はより適切なものとなり、国家の状態は良くなることをしっかりと理解するべきである。 人気blogランキングでは「社会科学」の30位でした。↓ここをクリック、お願いします。 人気blogランキング