パレート最適

自由主義経済を擁護する理論的な根拠として、「自由市場経済で実現する資源配分はパレート最適である。」という。「厚生経済学の第一命題」があります。この重要な命題にパレート最適という概念が使われています。厚生経済学にとっては、非常に重要な概念です。

家計は企業に労働サービスという生産要素を提供し、その対価として賃金を受け取ります。また、生産要素である土地(広い意味で資源です。)も企業に提供し、その対価として地代を受け取ります。また、企業に資本を提供し、企業の利潤を配当として受け取る権利を持ちます。

家計は、これらの収入で、企業から受け取る収入を下に企業から消費財・サービスを購入します。そのとき自己の。「選好」に従って、効用を最大化するようにします。

資源配分とは、どのような財・サービスをどれだけ、どのような方法で生産するか、誰にその財・サービスどれだけ分配するかです。

ある資源配分がパレート最適とは何かというと、こういう風に表現されます。

いずれかの家計の効用を低下させることなく、ある家計の効用を改善できるような実行可能な資源配分は他に存在しない。

ひとつの例として、二つの家計がある経済を考えます。

今の資源配分の結果、家計Aの効用水準が10、家計Bの効用水準が5であったとします。

もし、この経済で資源配分がパレート最適である場合には、家計Bの効用を改善するためには、家計Aの効用を現在の10から引き下げなければなりません。そのような代償を支払わずに、家計Bの効用水準を引き上げることはできません。同じように、家計Aの効用を改善するためには、家計Bの効用を低下させるという代償を支払わなければなりません。

もし、この経済で資源配分を変えることによって家計Aに効用水準10を維持したまま家計Bの効用水準を7に引き上げることができるとします。この場合、この資源配分はパレート最適ではなかったことになります。なぜなら、家計Aの効用を低下させることなく、家計Bの効用を改善できるような実行可能な資源配分が他に存在したからです。

さて、もし、経済がパレート最適にないのであれば、経済を構成する家計の効用水準を引き上げ、パレート最適に到達することに社会的なコンセンサスが得られるでしょう。誰も不利にはならないのですから。したがって、パレート最適を目指すことは厚生経済学では、適切であるとされています。

さて、ここで問題があります。二つの家計からなる経済の例を考えます。三つのケースを想定してみましょう。第一のケースでは、家計Aの効用水準が10、家計Bの効用水準が1であるとします。ここで、家計Aの効用水準を引き下げることなく、家計Bの効用水準を引き上げることはできず、しかも、家計Bの効用水準を引き下げることなく、家計Aの効用水準を引き上げることもできないとします。この状態はパレート最適です。第二のケースは、家計Aの効用水準が7、家計Bの効用水準が7であるとします。また、第三のケースでは、家計Aの効用水準が1、家計Bの効用水準が10であるとします。第二のケースでも、第3のケースでも、家計Aの効用水準を引き下げることなく、家計Bの効用水準を引き上げることはできず、しかも、家計Bの効用水準を引き下げることなく、家計Aの効用水準を引き上げることもできないとします。この二つの状態もパレート最適です。

このように、ひとつの経済でパレート最適は数多く存在します。

さてこれらのケースはすべてパレート最適ですから、資源配分は等しく効率的です。しかし、そのうちのどれがもっとも望ましいと考えられるかは、その社会の価値観に係っています。平等主義的な価値観の社会であれば、第2のケースが好まれるでしょう。パレート最適な資源配分は、資源の効率的利用という点では優劣はありませんが、そのことは、これらの間に優劣がないことを意味するものではありません。

さて、ここで第4のケースとして、家計Aの効用水準が7、家計Bの効用水準が7である場合を考えます。家計Aの効用水準が7、家計Bの効用水準が7である第2のケースが存在しますから、これはパレート最適ではありません。資源配分は非効率です。したがって、経済がこの状態にあるなら、ケース2のような方向に向けて、資源配分の改善を図っていくべきです。「消費者主権」の社会では、ケース4がケース2に比べて社会的な評価が高いということはありえません。

問題はパレート最適であるケース1、ケース3とパレート最適ではないケース4の比較です。家計Aの効用水準はケース1では10、ケース4では5でした。家計Aにとってはケース1のほうが望ましいでしょう。一方、家計Bの効用水準はケース1では1、ケース4では5でした。家計Bにとって望ましいのはケース4です。社会が家計Aと家計Bのどちらの立場に重きを置くかによって、ふたツンケースの優劣は決まります。つまり、パレート最適である資源配分が、常にパレート最適ではない資源配分よりも社会的に勝るとは限らないのです。

パレート最適でない場合には、それよりも社会的に望ましい資源配分が少なくともひとつはあります。しかし、すべてのパレート最適な資源配分がすべてのパレート最適ではない資源配分に比べて社会的に勝っているのではありません。この意味では、パレート最適という判断はきわめて弱い判断なのです。

仮に、経済に今あげた4つのケースしかなく、ケース2、ケース4、ケース1の順で社気的な評価が高いとします。そして、現在の資源配分がケース1だとしましょう。最も望ましいのは一挙にケース2へ移行することです。しかし、それが直ちに実行できないなら、そしてケース4への移行ができるなら、まず、ケース4へ移行することが合理的です。そして、ケース4にとどまるのは合理的ではありません。ケース4の資源配分を達成したら、次にケース2への移行の努力を開始しなければなりません。

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