同一労働同一賃金

労務屋@保守親父さん」が、こんなことを書かれています。

市場メカニズムに信頼を寄せる八代氏とすれば、労働移動や価格決定にかかわる規制を撤廃すれば『流動性の高い職種別労働市場』が形成され、同一労働については同一賃金となり、若年層の非正規雇用職業訓練を施せば市場メカニズムの中で訓練の成果たる技能に応じた価格=賃金で雇用されるであろう、と考えるのでしょう。いっぽうで、全く逆の立場に立つ森永氏とすれば、市場メカニズムに任せれば格差は拡大する一方であり、非正規の賃金が低いことは『気の毒』で『社会正義に反する』、とりわけ外見上同じような仕事をしているように見えるのならなおさらだ、ということで、強制的に同一労働については同一賃金とする制度を導入せよ、というものでしょう。なかなかの同床異夢ぶりで、お互いに『一致してますね』と言われたら怒るかもしれません。」

このお二人は市場メカニズムが、どういう結果をもたらすかについて、全く別のイメージを持っていらっしゃるわけです。しかし、規範としての同一労働同一賃金には賛成なのです。

したって、労務屋@保守親父さんが、このように述べられているのももっともです。

「そもそも『同一労働なら同一賃金であるべき』という考え方に異を唱える人はほとんどいないのではないでしょうか。企業経営者や人事担当者にしても、ほとんどの人は『基本的に、同一労働なら同一賃金であるべき』と考えているはずです。」

そうなのでしょう。ただ、同一労働同一賃金では方がつかない問題があります。それは、異なる労働に対してどの程度の賃金差をつけるのが正しいのかです。同一労働同一賃金、等しいものは等しく扱うというある意味で単純な原理が、カバーする領域は狭いと思います。、フルタイム労働とパートタイム労働が同一ではないとき、どのような差が許容されるのか、この問題に対して、同一労働同一賃金論は何も答えを出せないのです。

さて、同一労働同一賃金に話を戻します。労務屋@保守親父さんはこう書かれています。

「むしろ、家族手当などの生計費配慮を重視しないという点では、企業経営者のほうが同一労働同一賃金の考え方が強く、『最低賃金を時間あたり1,000円に引き上げるべき』という人のほうが、同一労働同一賃金の考え方からは離れているという見方もできるでしょう。」

これには異論があります。これは、労務屋@保守親父さんが書かれているように、「『なにをもって同一労働とするか』ということではないか」の問題だと思います。

一方の極には、「同じ作業をしているなら(外見上同じ仕事なら)、同一労働だ。」という考えがあるでしょう。「正社員と同じ仕事をしているパートタイム労働者には同じ賃金を払うべきだ。」と主張される方々は、多分こういう考えをお持ちだろうと、私は想像しています。「同一作業同一労働」とでも呼べば良いのでしょうか?この方々は、同時に最低賃金引き上げ論者でもある割合が高いのだろうとも想像しています。

もう一方の極は、勤続や年齢や家族構成で賃金を決める電産型賃金があります。冗談はよせと言われるかもしれませんが、「同じ年齢で、同じ勤続で、同じ家族構成を持つ労働者が提供する労働は同一だ。同じ価値をもつ労働だ。」という考えがあるのだと考えればいいのです。学歴などを付け加えても良いと思います。「同一労働者(が提供する労働)同一賃金」と呼べば良いと思います。こういうことを言うと変に思われるかもしれませんが、こう考えたらどうでしょう。(同じ原材料を、)同じ機械を使って(、同じ時間掛けて)作った製品は、種類が違っても同じ価値をもつ。(もちろん私は労働者は機械だと主張しているわけではありません。為念)。

したがって、「家族手当などの生計費配慮を重視しないという点では、企業経営者のほうが同一労働同一賃金の考え方が強」いのではなく、企業経営者と最低賃金引き上げ論者とでは、「同一労働」の捉え方が違うだけでしょう。(現在は、例えば労働組合の間でも考え方に差があることは承知しています。)

労務屋@保守親父さんはこうも書かれています。

「『なにをもって同一労働とするか』を判断するのは、少なくとも企業内労働市場においては、学者でもなければ評論家でもなく、極論すれば判事でもなく、労働者を雇用して事業を行い、その経営に責任を有する使用者以外にはないというのが私の意見です(もちろん、その判断がたとえば女性であることだけを理由とするような不合理な、差別的なものに過ぎない場合などは、それは是正される必要はあります。為念)。」

これにも異論があります。

確かに企業内労働市場について、こうおっしゃりたくなるお気持ちは分かります。企業の外部の人間には企業の中のことは、完全には分からない。しかし、大事な人のことをお忘れではないでしょうか?企業内部にいる労働者(と労働組合)です。企業に雇用されて労働し、その労働に責任を有する労働者にも「なにをもって同一労働とするか」を判断する権利があると思います。経営者と労働者(と労働組合)の間の対話で決めていかないといけません。いくら企業経営者が確信を持って判断していても、労働者が納得しなかったら仕方がないでしょう。

とはいえ、外圧は徐々に強くなってきています。なにが同一労働かについては、パート法で

「事業主は、業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)が当該事業所に雇用される通常の労働者と同一の短時間労働者(以下「職務内容同一短時間労働者」という。)であって、当該事業主と期間の定めのない労働契約を締結しているもののうち、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されると見込まれるもの(以下「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」という。)については、短時間労働者であることを理由として、賃金の決定、教育訓練の実施、福利厚生施設の利用その他の待遇について、差別的取扱いをしてはならない。」

と規定されそうです。

こうなると「雇用期間」に定めのない労働者の場合には、「業務の内容」、「業務に伴う責任の程度」が同じで、雇用関係が終了するまでの全期間において、「業務の内容」、「業務に伴う責任の程度」、「配置」の変更の範囲が同じであれば、賃金の決定の仕方を同じにしなければならないわけで、賃金を決定する際の要素が同じであれば、同一労働と理解されるようになるかもしれません。それでも賃金決定要素は労使で決めればいいのですから、その限りで同一労働の判定は、企業内で行われるのですが。

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