2007年福祉宇宙の旅 その1 基礎年金の源流を探る

「2006年福祉宇宙の旅 その6」について」で、基礎年金の財源を税金とするか、保険料とするかについて書きました。 基礎年金の源流は、国民年金であると言って差し支えないと思います。この国民年金が国会に提案されたときにも当然議論になっています。 政府が国民年金法案を国会に提出したときの提案の理由の説明を調べてみました。昭和34年2月18日の衆議院社会労働委員会の議事録の抜粋(http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=24227&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=2&DOC_ID=8148&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=24523)です。発言者は坂田国務大臣です。アンダーラインは平家が付けました。なお、議事録で誤字と思われるところは、線を引いて消し(見え消しにし、)後ろに正しいと思われる字を書いておきました。 まず、基本的な思想から。 「御承知のように、わが国の公的年金制度には厚生年金保険制度を初め恩給、各種共済組合による年金制度などすでに幾つかの制度があるのでありますが、これらはいずれも一定の条件を備えた被用者を対象とするものでありまして、国民の大半を占める農民、商工業者、零細企業の被用者などはいまだに年金制度から取り残されたままになっているのであります。  翻って最近のわが国の人口趨勢を見まするに、国民の死亡率は激減し、平均余命は戦前に比べ飛躍的な仲びを見せ、その結果老齢人口は絶対数においてもまた国民全体の中において占める比率においても著しい増加の傾向を見せております。しかるに一方これら老齢者の置かれております生活状態は、戦前に比べむしろきびしさを加えているのであります。このことは程度の差こそあれ、身体障害者や母子世帯の場合にも同様といえるのであります。  このような事情からいたしまして、社会保障制度の一環として全国民に年金制度を及ぼし、これを生活設計のよりどころとして、国民生活の安定をはかって参ります体制を確立いたしますことが国民の一致した要望となってきたのであります。」 まず、平均寿命の増加に伴う老齢人口の増加が国民年金制度の背景です。また、国民年金は、「農民、商工業者、零細企業の被用者など」、つまり、働いて所得のある人を対象に考えていたのです。無業者や失業者、学生を主たる対象として考えていたわけではありません。 また、目標は国民生活の安定であって、年金だけで最低限度の生活を保障すると考えていたわけではないようです。 次ぎに、拠出(保険料)か税金かの議論です。 「次に国民年金法案の基本的な立て方について申し上げます。本法案におきましては、拠出制の年金を基本とし、無拠出制の年金は経過的及び補完的に併用していく建前をとったのであります。拠出制を基本といたしましたのは、第一にみずから掛金をし、その掛金に応じて年金を受けるといら仕組をとることによりまして、老齢のように予測できる事態に対しましては、すべての人が若いうちからみずからの力でできるだけの備えをするという原則を堅持して参りたいと考えたからであります。年金制度におきましてこのようた建前をとりますことは、制度が将来にわたって健全な発展を遂げて参りますための不可欠の前提と考えられるのでありまして、イギリス、アメリカ、西ドイツ等諸外国における多年の経験もこのことを明らかに示しているのであります。さらにまた、わが国のよらに老齢人口の急激に増加して参ります国におきましては、無拠出制を基本とした場合、将来における国の財政負担が膨大になり、それだけ将来の国民に対して過度の負担を負わせる結果となるわけでありまして、これを避けますためにも拠出制を基本とした積立方式をとり、積立金及びこれから生ずる利子収入を有力な財源として給付費をまかなっていく仕組みが必要となるのであります。しかしながら拠出制のみでは現在の老齢者、身体障害者または母子世帯あるいは将来にわたって保険料を拠出する能力の十分でない不幸な人々には年金の支給が行われないこととなりますので、これらの人々にも年金を支給いたしますために、無拠出制の年金を併用することといたしたのであります。」 ここが、保険料か税金かという議論をしているところです。「老齢のように予測できる事態に対しましては、すべての人が若いうちからみずからの力でできるだけの備えをするという原則を堅持してまいりたい」というのですから、予想できる問題には自助努力でということです。 ただ、自助するだけの力のない人がいることは認めています。「身体障害者または母子世帯あるいは将来にわたって保険料を拠出する能力の十分でない不幸な人々には年金の支給が行われないこととなりますので、これらの人々にも年金を支給いたしますために、無拠出制の年金を併用することといたした」ということです。 つまり、自助する能力のある人には社会保険制度で保険料を払わせる、要するに自助することを強制し、自助できない人は税金で救済するという明確な区分で考えていたわけです。 強制加入ですから、自助できる人間が自助しないで済ませることを許さないのです。能力のある人間が、「老後の備えは自分でやる。どの程度備えるかは私が決めることだ。」といっても保険料を払わないで済ませることを認めない。貧困になる自由を認めないのですね。 また、「老後には自分で備えろ。失敗したら自己責任だ。政府は面倒なんか見ないぞ。」とも言っていない。 なぜかと言えば、それでは「国民生活の安定」が図れないからでしょう。貧困な老齢者が多数いることは、本人が良くても、国民生活を不安定にするということだろうと思います。 「第一に保険料でありますが、これは二十才から三十四才まで月額百円、三十五才から五十九才までは百五十円としたのであります。この額は、国民の大部分が負担できるものと考えてきめたものでありますが、生活保護を受けている者とかその他この保険料を負担する能力の乏しいと認められる者については保険料免除の道を開く等、低所得階層に対する特別の措置を考慮いたしました。」 ここかなり重要だと思います。まず、保険料が決まる。それによって、年金額が決まるのです。まず適切な年金の額を決め、そこから必要な保険料を計算しているのではない。 保険料の額は、「国民の大部分が負担できるもの」としたのです。したがって、国民の大部分、例えば所得の高い方から90%を考えます。このうち90%に該当する人も払える額なのですから、例えば上から50%位の人は、保険料を支払った後でも、老後の備えのため、年金以外の預貯金をすることはできるはずです。国人の大部分が年金だけで老後を送ると言うことを考えていたわけではないのでしょう。 年金の額は、国民の大部分が払える額の保険料から決まります。したがって、その水準で最低限度の生活、あるいは適切な生活が送れるという保障はありません。実は提案理由説明の中では、将来の年金額がいくらになるのか触れられていません。積立金の運用益もありますから、年金額はあくまで結果として決まるものという建前からでしょう。給付建ての年金ではないのです。 「第四に年金財政について申しあげます。本制度におきまする財政運営方式としては、積立式をとることにいたしておりますが、これは財政運営方式を賦課式といたしました場合、わが国の現状におきましては、年金を無拠出制のみとした場合と同じように、将来の被保険者に対しまして過度の負担を負わせる結果となるからでございます。なお、本制度の積立金は、制度の発足当初から次第に増加することになるのでありますが、これが運用はきわめて重要な問題でありまして、今後とも慎重に研究いたして参りたいと考えております。」 賦課式や無拠出制とすれば、将来の被保険者に対しまして過度の負担を負わせることに案留から、そういう制度は作れないということです。なお、ここで被保険者というのは、保険の加入者(国民)のことです。 「国庫負担でございますが、これは、毎年度の保険料収入総額の二分の一に相当する額を負担することにしております。このような国庫負担割合は、従来の社会保険特に年金制度には見られないほど大きいものでありまして、これを見ましても、国民年金制度の維持育成に対する熱意を肯定していただけるものと考えております。なお、援護年金の給付に要する費用は当然のことながら全額国庫で負担いたします。また、事務費につきましても、これを全額国庫が負担することといたしております。」 ここで援護年金といっているのは、「無拠出制による老齢・障害・母子の三つの援護年金を経過的に支給することとした」ものです。これらは税金で賄われるのですが、注意すべきことがあります。「一定程度以上の所得のある者など比較的恵まれた状態にある人たちに対しましてはこの支給を制限いたす」と言っています。つまり所得の高い人間には税金で援助をすることはしないということです。保険料を払っていれば、所得に関わらず二分の一は税金から出すが、払っていなければ、ゼロもあり得るというわけです。同じ再分配でも保険料の支払いの有無で扱いが違うのです。 人気blogランキングでは「社会科学」の44位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング