民法第772条 真実は高くつく

民法第772条(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M31/M31HO009.html#1004000000003000000001000000000000000000000000000000000000000000000000000000000)が問題にされています。

第772条というのは面白い条文です。

1 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取り消しの日から三百日以内に産まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

要するに、誰が子の真実の(というか生物としての)父親であるかとは別に法律上の父親を決めてしまおう。こういう発想で作られているのです。

当然、この推定が真実ではないことはあります。第1項の推定が真実ではない場合を考えます。もし、婚姻中に妻が懐胎した子を、この子は自分の子ではない、と夫が主張したい事情があればどうするか?

第772条を推定という発想で作った以上、そういう事態は生じるのが当然ですから、民法はきちんと、そういう場合の方法を決めています。

まず、第774条で嫡出否認ができることを定め、第775条で否認の方法も定めています。

第774条 第772条の場合において、夫は、子が嫡出であることを否認することができる。

第775条 前条(注 第774条のことです。)の規定による否認権は、子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。(以下略。)

夫が真実を求めるのであれば、自ら訴訟を起こさなくてはなりません。「この子は自分の子ではありませんから、国で審査をしてちゃんとやって下さい。よろしくお願いしますよ。」と、国任せにはできないのです。自分で、国相手ではなく、子か母親を相手に訴訟をしなければなりません。自分の権利を守りたければ、自分で戦うほかありません。

こんなのは不合理だと思われるかもしれません。

朝日新聞の「私の視点」に早稲田大学の棚村政行教授が民法772条問題について、こう書かれています。

   

 「この原則自体は、女性に再婚を6ヶ月間禁止するルールとともに、子のために父親を明確にしておこうとするもので、全く合理性がない規定ではない。」

強調は平家によります。

要するに、この規定は、法律上の父親がいないと、子に不利益だから、とにかく法律上の父親を決めてしまおうということなのです。父親や母親のための規定ではありません。

で、最近問題になっているのは、実は二つのケースがあります。

一つ目はこうです。第2項に基づく推定が真実ではない。つまり、「婚姻の解消若しくは取り消しの日から三百日以内に産まれた」けれどもその「子は、婚姻中に懐胎したもの」ではない場合です。特に、再婚した夫の真実の子である場合が問題です。

二つ目は、こうです。第2項の推定は真実であるけれど、実は前夫の子ではない。つまり婚姻中に夫(その時は夫です。)ではない男性の子を懐胎したということです。これは、実は「婚姻の解消若しくは取り消しの日から三百日以内に産まれた」場合だけの問題ではなく、婚姻が解消されていない場合、取り消されてはいない場合にも起こる問題です。これを解決しようとすると、第1項をどうにかしないといけません。

そこで、一つ目の問題だけに集中して見ます。いくつか方法がありますが、簡単な方から。

1 「三百日以内に産まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。」の「三百日」というのを短くする。

実際、2005年には満37週未満で産まれた子が5.7%、37から41週で産まれた子が93.7%、42週以上で産まれた子は0.6%です。300日というと42.9週ですから、300日という規定は、前夫の子が間違って、非嫡出子とされたり、現在の夫の子とされる虞はほとんどないと言えます。反面、現在の夫の子や前夫ではない男性の子が前夫の子とされてしまう可能性はかなり高いと言えるでしょう。

統計はここをご覧下さい。

http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/010/2005/toukeihyou/0005626/t0124411/MB240000_001.html

例えば、 「三百日以内に産まれた子」を 「二百八十日以内に産まれた子」と改めれば、現在の夫の子や前夫ではない男性の子が前夫の子とされてしまう可能性を低くなると期待できます。しかし、原理的に、こうすればすべて問題が解決されるというわけではありません。あくまで確率を減らせるだけです。さらに、一方で、前夫の子が間違って、非嫡出子とされたり、現在の夫の子とされる可能性は高まってしまいます。

なお、私は300日はやや長すぎると思います。ここを改めるだけなら、そう長々と議論する必要もないでしょう。

もっと大胆な方法を考えてみましょう。「母親がこの子の父親はこの人です。」と申告することにして、その申告された男性を父親と推定するという方法はどうでしょうか?こうすれば、父親不在という子の不利益はなくなります。

しかし、縁もゆかりもなく、会ったこともない女性から、突然、その女性が産んだ子の父親として指定されるという、とんでもない問題が起こります。これは、いささか男性の負担が重すぎるでしょう。

すると、範囲を限定して、現在の夫か、前夫のどちらかから指定できるという方法が考えられます。もちろん、真実はどちらでもないと分かっていても、どちらかから選ぶことになります。母親によっては耐えられないかもしれません。

では、より、出生の現状に合わせて、離婚して例えば1年以内に出生した子については、その子を懐胎した時期を医者が判定し、現在の夫と婚姻している期間中の懐胎であれば、現在の夫の子、前夫と婚姻している期間中であれば前夫の子と推定し、どちらでもなければ、非嫡出とするというのはどうでしょうか。

これも完全ではありません。前夫との婚姻中に、前夫ではない男性の子を懐胎する場合があるからです。

どのような方法を採っても、推定だけで真実は保障されません。

あくまで真実を追求するのであれば、父親である可能性のある男性の身体の一部をとって、DNA鑑定をするほかないでしょう。しかし、その場合、市役所が命令して、男性に強制することになります。棚村政行教授が述べられているとおり、これまで、「戸籍窓口の担当者は実質的審査権を持たないので、夫婦の関係や子の出生にまつわる事情をあれこれ確認するわけには行かない、という事情」であったのを、根本的に変えることになります。そこまで強い権限を行政府に与えていいのでしょうか?親子関係、夫婦関係というのはプライヴァシーの極地ですし、人間の体を行政府が勝手に採取し、検査できるというのもどうでしょうか。人権の上で問題がありそうです。

おそらくは裁判所の命令と言うことになるでしょう。結局。裁判所の関与する手続きを踏まねばならないわけです。そうすると、今の嫡出否認や親子関係不存在の確認のための調停、審判とあまり変わりがありません。棚村教授は「前夫の子でないことが明らかなケースまで、前夫の子として届け出をさせ、裁判で訂正させるというのは少々行き過ぎではあるまいか。」とおっしゃるけれども、ある程度の負担は避けられません。

残念ながら、法律を改正すれば、多少の改善は可能だが、完全に負担なしに真実のとおり親子関係を決めることはできないといわざるを得ません。

なお、そのような負担を回避するために、法律を変えないまま、行政にうまくやってくれというのは取ってはならない道です。教授も「戸籍制度は基本的な身分関係を登録公証する。自分自身の存在を証明し、法律関係を左右するので、いい加減な記載や届け出が許せないのは当然だ。」と書かれています。このような重大なことを、法律の定めもないまま行政府に裁量を認めるのは、邪道です。

親になる以上、子のために負担をする覚悟は持つべきです。

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