勉強になった『経営労働政策委員会報告』

労務屋@保守おやじさんが紹介された経団連の『経営労働政策委員会報告』を、先日、ある方から戴いた。 今日、序文から読み始めた。 「創造力を発揮するためには、自律的な人材の育成が求められる。 すなわち、基礎学力、対人関係能力、自己開発能力、課題発見・開発能力、専門知識、国際社会への適応力を持ち、かつ自らを律することのできる人材である。」 私は、これまで「自律的な人材」というのは「自らを律することのできる人材」だと勘違いしていた。そうではなかったのだ。「自ら律する」だけではなく、「基礎学力、対人関係能力、自己開発能力、課題発見・開発能力、専門知識、国際社会への適応力」すべてを持たないと「自律的な人材」ではないのだ。なるほど。言葉とはこういう風に使われるのだ。勉強になった。 しかし、多少の不安を感じないでもない。このように言葉を使う方々とお話をしていて、「馬」という言葉が出てきたら、どんな馬を考えればいいのだろうか?ひょっとすると、私が、白い馬を指さして「あの馬はきれいだ。」と言ったとたんに、「白い馬は馬ではない。馬とは、単に馬であるだけのものではない。栗毛のサラブレッドの牝の馬をいうのだ。」とご教示いただくことになるかもしれない。 もっとも、「白い馬が馬ではない」ということは、2000年以上前から分かっていることではあるのだが。 「これからの日本を支えていく自律的人材を数多く輩出することが強く求められている。」 私は、これまで数多く出すことが「輩出」だと勘違いしていた。そうではなかったのだ。「数多く輩出する」。なるほど。この言葉はこういう風に使うべきだったのだ。勉強になった。 しかし、多少の不安を感じないわけでもない。「輩出する」だけだとどんな意味になるのだろうか?ひょっとすると「一人の英雄を輩出する。」という使い方をしてもいいのかもしれない。 もっとも、これは「辞書を引けばいいだけのこと」であるのだが。 「企業経営者の責務・社会的責任はますます強まる。」 私は、これまで「責任」というのは、重かったり、重くなったりするものだと勘違いしていた。そうではなかったのだ。強かったり、強くなったりするものなのだ。なるほど。この言葉とはこういう風に組み合わせるべきものなのだ。勉強になった。 しかし、多少の不安を感じないでもない。強責と言っていいのだろうか?ひょっとすると、何か仕事を命じられて、私が、「強責に身が引き締まる思いだ。」と言ったとたんに、この人には挨拶を書くような重い責任を負わせてはいけないと判定されてしまうことになるかもしれない。 もっとも、私は、強い責任感を持つ人間ではないので、その判定は正しいのだが。 本文も読むべきだろうか?いや、既に、十分勉強になった。 それに、私は、これまで自分には国語の基礎学力はあると勘違いしていた。そうではなかったのだ。なるほど。「基礎学力、自己開発能力、課題発見・解決能力」は重要だ。「自らを律し」国語の勉強に励むことにしよう。 しかし、多少の不安を感じないわけでもない。ひょっとすると、この報告は毎年出されているのではなかろうか?私の基礎学力が向上する前に、来年の報告が出されてしまうかもしれない。 もっとも、私が読めなくても、誰も困らないのだが。 人気blogランキングでは「社会科学」の30位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング