「高齢期はエッフェル塔で」について

高齢期はエッフェル塔で」にhamachanさんから「メイク・ワーク・ペイ その3」というコメントをいただきました。hamachanさんのご提案の全体像について、すぐにお返事をするには私の考えが煮詰まっていませんので、少し時間をかけて考えてみたいと思います。 このやり取りは「オベリスクとエッフェル塔」でのオベリスクエッフェル塔かの議論で始まったのですが、この選択の問題について、とりあえず高齢者、障害者に対する年金についてだけコメントしておきます。 hamachanさんは、年金は画一的なものでなければならないことはないから、弾力的な年金制度を作れば、理論的には高齢者、障害者には年金だけで対応可能だし、そうすればいいというご意見のようです(オベリスク)。 確かに、そのような制度を考えることは不可能ではありません。国会がそう決めれば、実行可能です。 その場合、具体的な一定額の給付を約束するのではなく、高齢者なり障害者の抽象的な妥当な水準の生活をするという約束をしておいて、実際の給付の場面になれば、具体的な給付については何らかの基準を作り、支給していくことになるでしょう。 そのとき、どのような必要があるか、稼得収入があるか、財産収入があるか、家を持っているか、貯金がどれぐらいあるか、家族から援助を期待できるかなどを考慮することになるのでしょう。 このような仕組みを考えると、一定の保険料と公的な負担という組み合わせはなかなか困難であるように思われます。保険料を賦課制にして支出の一定割合を保険料でまかなうにしても、何を賦課の基準にするかが決めにくく、それと給付の関係も不明確になるような気がします。 すると、実際には税によるシステムに近いものになってしまうのではないでしょうか。 もし、給付が弾力的で、費用が税でまかなわれるなら、今の生活保護とほとんど同じではないでしょうか? であれば、今の年金制度を維持し、生活保護と組み合わせたほう(エッフェル塔)が現実的ではないかと思います。 その場合、生活保護の水準を上回る年金がありえますので、その分だけ負担は大きくなりますが。ただ、かなりの部分画一的な給付ですむので、給付の手間は、こちらのほうが少ないと思います。 なお、hamachanさんの方式だと、特定の人が生活保護という特別の制度によって給付を受けるのではなく、全員が年金という一般的な制度により、給付を受けるので受ける側の精神的な負担が減るという長所があり、これは私にとってかなり魅力があります。 人気blogランキングでは「社会科学」の16位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング