高齢期はエッフェル塔で

「「「オベリスクとエッフェル塔」について」について」について」について、コメント欄でhamachanさんとやりとりをしました。いくつか意見が違うのですが、今回は高齢になって働くことができなくなった時期の対応について、私の意見を述べます。

まず、高齢期は家族構成、健康状態どが様々で高齢者といっても大きな差があります。

必然的に、「健康で文化的な最低限度の生活」を送るために必要とするものを購入するために必要な資金も個人毎、世帯毎に大きな差がでてきます。

さらに、資産の額、そこから得られる収入にも大きな差があります。子供からの仕送り、援助を期待できるかどうかについても大きな差があります。

したがって、全く公的年金すら必要としない人もいれば、相当高額の公的年金を必要とする人もいます。

しかし、公的年金は画一的なものです。社会保険によるものであれ、税によるものであれ、一定の算式に基づいた給付しかできません。

そうすると、その給付では「健康で文化的な最低限度の生活」を遅れない人がどうしてもでてきます。これは年金制度の不備ではなく、超えることのできない限界なのです。(きわめて高額であれば別ですが、それは非現実的です。)

であれば、公的年金を基本とし、他の収入、貯金の取り崩し、子供の仕送りを活用するとしても、最後の手段として生活保護は必要でしょう。

したがって、高齢期は年金で対応するべきで、それができないような現在の年金制度は不備なものであるというhamachanさんのご主張には賛成できません。

年金というオベリスクでは高齢期に対応できません。様々な政策を組み合わせて適切な高さのエッフェル塔を建てるべきです。

なお、現在の年金制度は成熟の途上にあり、つまり実際の被保険者期間が長くなり、給付額も増えつつあるので、以前より高齢期に生活保護を必要とする人の割合は減っていくと期待しています。

平成17年の国民生活基礎調査の結果(↓)を参考にしてください。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa05/2-4.html

おって、医療制度、介護制度については触れませんでしたが、これらもエッフェル塔を建てるための鋼材です。

最後に、これがワーキングプアから見て、「何で働いていないのが我々よりいい目を見ているのか」となるかどうかは、給付の水準にもよるでしょうが、彼らも高齢者になれば給付を受けられると考えられるか、つまり制度の持続可能性にもよると思われます。

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