保守親父@労務屋さんへの最後のお返事

再び保守親父@労務屋さんへのお返事」に、保守親父@労務屋さんからTBをいただきました。http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060508

これ以上続けると、ご迷惑だと思いますので、保守親父@労務屋さんとのやりとりはこれで終わりにします。

おそらく、保守親父@労務屋さんと私の違いは、国家公務員の対応能力、適応能力や国家公務員を職種転換させる国の能力の判定の差だと思います。

一般論として「民間の納税者として、行政にもそれなりに民間に近い水準の努力を期待してはいけないのだろうか?」と問われれば、私も「当然、国民にはそう期待する権利はある。」と思います。まったく異論はありません。

ただ、国民には納税者としていわば行政サービスを買っている(あるいは、押し売りされている)立場のほかに、公務員の究極の使用者としての立場にも立っています。何人雇うか、労働条件をどうするか、何をさせるか基本はすべて法律で決まっています。法律は国民が選んだ国会議員が決めています。この点は忘れてはならにと思います。

そして、「賢明な使用者」でなければ、必要な行政サービスを効率よく受けることもできません。現在、「5年、5%を自然減と配置転換で達成せよ」という要求をすることが、果たして賢明かどうかという問題です。

「高速化により、都市間の鉄道の競争で優位に立つ。」という方針を決めた経営者は、まさか事故が起こってもいいなどと考えていたはずはありません。労働者は、事故を起こさないでダイヤを守れる(あるいは、守れないようなダイヤを作るはずがない)と信じていたのでしょう。しかし、実際にはできなかった(あるいは作ってしまった)のです。労働者の能力を過大評価していたとしかいえません。何が言いたいのかといえば、使用者は、労働者がどこまでできるのかの見極めをつけて置かなければならないと言うことです。

(そのほかにも、労使の間の風通し、組織内部の風通しをよくしておくこととか、労働者のモラールに配慮するとかさまざまなことがあるでしょうが、これは保守親父@労務屋さんには釈迦に説法でしょう。)

国家公務員が「5年5%を自然減と配置転換で達成し、かつ、必要なサービスを提供する能力を持っている」と考えるかどうかの問題です。実は、私には良く分かりません。

私はやや懐疑的、保守親父@労務屋さんは「なせばなるだろう。」と考えていらっしゃる。これが意見の差をもたらしているのだろうと思います。

人気blogランキングでは「社会科学」の32位でした。今日も↓クリックをお願いします。

人気blogランキング