再び保守親父@労務屋さんへのお返事

保守親父@労務屋さんへのお返事」に、保守親父@労務屋さんから、お返事をいただきました(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060427)。

あまり長く続けると、保守親父@労務屋さんにご迷惑だと思います。そこで、保守親父@労務屋さんのご主張を、私なりにまとめ、それに対する私の意見を述べて終わりにしたいと思います。少し長いのですが、ご容赦を。

5年間5%の削減について

保守親父@労務屋さんのご主張はこう要約できると思います。(間違っていたらご指摘ください。)

1 5年間で5%という公務員削減目標は、定年退職、自己都合退職などの「自然減」で総量としては対応可能である。

2 この場合、新規採用は抑制せざるを得ないが、新規採用がゼロになるほどでもないだろうから、組織の活力を低下させることにはならないだろう。

3  1,2を前提とすれば、今回は「自然減」で対応すべきであり、それ以上の削減を図るべきではない。

これについては、1は多分おっしゃるとおりだと思います。定年制というものに年齢差別という批判はあっても、無理せず人員を調整する余地を与える仕組みなのですから、活用すべきでしょう。ですから、基本的には、2の判断の妥当性次第なのでしょう。

つまり、「官」幹部が「人員を5%減らした上に、新規採用を抑制しては「官」の役割を果たせない。」、あるいは「それでは長期的に「官」の活力が失われる。」と判断することもあるだろうと思います。彼らにはそれなりの責任があるのですから。

このような判断が正しいのか、あるいはそもそも「官」幹部がそういう判断をするかどうか、私にはわかりません。この点については、保守親父@労務屋さんと私で議論しても結論は得られないでしょう。実施された後検証するほかありません。

配置転換について

これはちょっと技術的な話です。背景をご説明しておきます。政府全体で総量として5%減らすにしても、特定の部局では5%を超える削減が意図されているようです。また、一方で人員を増やす必要があるところもあるでしょう。

これについては保守親父@労務屋さんは、配置転換をして対応すべきだというご意見だと思います。

ただ、配置転換といっても、受け入れる側が、「経験・知識のない人間を受け入れたのでは数はそろっても、仕事がこなせない。」と判断する可能性があります。人員増が必要な部局と5%を超える削減が予想されている部局では仕事に大きな差があるように見受けられますから。転換のための訓練にも限界があるでしょう。

すると、新規採用を行わざるを得ず、その分配置転換を受け入れられません。削減部局が自然減だけで対応できず(例えば5年×2.5%=12.5%以上になれば、そういう可能性は出てきます。)、配置転換も認められないと、どうしても今いる公務員にやめてもらわざるを得なくなる可能性があります。

この場合、自然減と配置転換で目標達成はできないことになります。

データ

調べてみました。

公務員の数と種類はこんな具合です。

http://www.soumu.go.jp/jinji/jinji_02a.html

公務員は、3,987,000人。

そのうち国家公務員は945,000人。

さらにそのうち一般職の国家公務員は640,000人。

また、そのうち非現業国家公務員は301,000人です。

現業国家公務員というと事務職を連想させる表現ですが、一般的な意味での事務職はそれほどではありません。

これをご覧ください。

http://www.soumu.go.jp/jinji/kyuyo.htm#kyuyo-1

一般的に言う事務職、ホワイトカラーの公務員は行政職(一)と税務職、指定職でしょう。最大限見積もっても237,700人です。私にとっては、意外な数字でした。この他に非正規、有期契約の職員が相当いると思います。

ついでですが、この表を見ると配置転換がそう簡単なことではないこと、行政需要に差がありそうなことが分かります。保守親父@労務屋さんには、できると言われるかもしれませんが。

なお、この枠の外に特別職として自衛官がいます。彼らについても人員削減が予定されているようですが、仕事の性質上、一時に大量の職員が公務遂行中の死亡、重い障害を負って労働不能という事態が発生する恐れがあり、そうなっても残りの人員で必要な仕事をこなさなければならないという、民間企業にはない特殊性があります。配慮が必要でしょう。

自然減以上の人員削減をするときの人選について

保守親父@労務屋さんのご意見はこうでしょう。

1 国がどうしても、組織の活力を保つために「自然減」以上の削減をしたいなら、「官」で役に立たない人ではなく、役に立つ人をやめさせるべきである。

2 役に立つ人をやめさせるときにも、その場合も、国は民間企業への斡旋を経団連に頼んだり、民間企業に強制的に引き受けさせるべきではない。

3 どうしても役にたたない人をやめさせるなら、民間で使えるように訓練してからにすべきだ。

1は民間企業の労務担当者としてはごもっともなご意見です。ただ、役に立つ人だけを選んでやめさせるうまい方法があるのかという疑問があります。

公務員の世界でも「お前の部署から役に立つ人間を選んで退職させろ、役に立たない人間は残しておけ。」という指示が上から下りてきたら、業務遂行に責任を持つ(持たされている)管理職は猛反発するでしょう。

また、辞めさせられるときに「君は優秀だから、民間でもやっていけるだろう。やめてくれ。」と言われて納得する人がいるでしょうか?実際には、「(民間企業に)こういう口があるのだが、応募しないか?」といった方法でやるほかないのでは、と想像します。そのためには斡旋は必要でしょう。それを経団連に頼んだり、受け入れを強制してはならないことはご指摘の通りです。ただ、そうすると、付き合いのある会社に頼むことになりそうな気が。

また、仮に、それに成功したとき、「官」はちゃんと「官」が果たすべき役割を果たしてくれるのかなという疑問が残ります。特に、官の仕事は精選されて官にしかできないことに限定されていくでしょうから、余計心配です。

2もごもっともなご意見ですが、そうすると退職金割り増しで希望退職を募るほかないでしょう。しかし、その費用の支出には国民は反対するでしょうし、法律改正する国会議員がそんなことを認めるとも思えません。結局、「自然減以上の削減」はできないということになりそうな気がします。

なお、希望退職を募ると、一番優秀な人は辞めず、二番手の人が辞めていくことがあるというご指摘は、なるほどなと思います。そのような可能性を思いつきませんでした。しかし、それでも相対的に優秀な人が辞めても大丈夫なのかという気はします。

公務員の人材育成について

「なってない!」というのがご意見ではないかと思います。

ご指摘の社会保険庁の例はあまりにひどく、こうご判断されるのも無理はないとと思います。ただ、これが一般的なのかというとそこまではひどくない気がします。PCの活用などはかなり進んでいるような感じを受けています。OSが古いとか、一人一台なく私物を使っているとか、いろいろ問題はあるようですが。また、民間すべてがうまく行っているのでもないでしょう。平均と平均で比べるとどうなのかよく分かりません。

余計な感想

保守親父@労務屋さんは「5年で5%」を所与とされています。「5年で5%」をお決めになったのではないのですから当然だと思います。ですから、この感想は保守親父@労務屋さんに向けたものではありません。

「5年後の最終的な仕上がり、いつ、どこで、どのような行政サービスを、どれぐらいの水準提供すべきか、する必要があるのか、それに必要な公務員の質と量がどれぐらいなのかが十分考えられているのだろうか?」というのが基本的な不安です。これが「官」の人事、労務管理の基本でしょう?

(いや、その後も削減を続けるので、5年後は通過点に過ぎないという考え方もあるでしょうが、それでも途中の状況でも、一応想定しておいたほうがいいでしょう。)

もうひとつの感想は、こんなことです。

基本的には「5年で5%」だけを決めるのではなく、それをどうやって達成するかも同時に考えておいたほうがよかったのではないでしょうか。「自然減と配置転換」でできるのかも検討しておくべきでしょう。また、配置転換のプランも立てておいたほうがよかったのではないかと思います。今後具体的なプランを作ることになるのでしょうが、そのプロセスで問題が発見されることは十分ありえます。

その上で実行可能であり、かつ「官」の機能にも問題は発生しないと判断できるなら、そうするとはっきりさせて置けば、国家公務員に無用の不安を与えないですみます。

もし、具体的に考えてみて「自然減と配置転換」では無理があり、希望退職が必要ならそのための法律を作ることも同時に決めておけばよかったと思うのですが。

仮に、「5年で5%」が絶対必要だということであれば、それを実行した場合、「官」の機能がどうなるかは、はっきりさせておくべきでしょう。「官」の機能が弱体すぎても困るのですから。

何か、連立方程式を解くべきところ、ひとつの式だけを満たすように解を決めてしまっているような、落ち着かない気分です。分かりやすく、「それ行けGO、GO!」と語呂合わせをしたとは思いませんが。

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