リフレ政策の検討 その10-合理的期待形成1-

リフレ政策の検討 その9」で議論した「合理的期待形成」について少し考えたことを。

人間は、普通、自分にとっていい生活をしようとします。何がいい生活なのかは、人によってさまざまで、本を読むことが好きな人もいれば、サッカーの試合を見ることが好きな人もいます。サッカーをするのが好きだと言う人もいます。

時間は限られていますし、普通は、使えるお金に限界があります。すべての事を同時にすることはできませんから、自分ができるだけ満足が行くように選択をしなければなりません。

その選択のなかには、例えば今日昼食に何を食べるか、といった単純で、ごく短い期間のものものもあります。家庭の主婦は日常生活で、買い物をしていますが、これは消費の選択、決定です。

短期的な決定をするときには、現在自分が使えるお金がどれぐらいあるか、買いたいものの価格はいくらかといったことを知っていればそれで足ります。「今、ここにあるもの、確定しているもの」さえ知ればいいのです。

買いたいものの値段は店に行って値札を見る、店員さんに聞く、カタログを見る、インターネットで調べるなどの方法で知ることができます。多少の手間とコストはかかるでしょうが、原理的には根気よく調べれば分かることです。値段を知るためには、特別の能力、予知能力は必要ではありません。誰でも、同じように知ることができます。みなが同じ知識を持つことになります。

特別の能力を持たない普通の人間が、社会を構成している、ミクロ経済学、静学は、このような仮定の下で意思決定の問題、価格決定、生産量決定、市場の機能を分析しています。

このような仮定は、ごく自然なものです。だから、私は、短期の分析の手法としてはミクロ経済学、静学を信頼しています。

しかし、短期の問題だけではすみません。人間は蜉蝣ではありません。人間の寿命は寿命はかなりあります。一瞬一瞬を生きるだけではなく、将来のことを考えなければなりません。

そういうことを考えると静学だけではすまなくなってきます。

(続く)

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