阿修羅

興福寺の阿修羅像。見る人によって少年と見えたり、少女と見えたり、あるいは中性とみえたり。実に多様な印象を与えます。

この阿修羅像を初めてみたときは、悲しみの顔と受け止めました。

今頃、香取君の『西遊記』見てるざます」で、シーラカンスさんは「眉をひそめて、何かに強烈に怒っている姿」と捉えられています。

悲しみと怒り、しかし、このどちらも正統派の解釈ではないようです。というのはこの阿修羅は体の正面で合掌しています。ということはこの阿修羅は、仏様を拝んでいるということになります。もちろん仏に帰依しているのです。仏に帰依した阿修羅が仏様を拝みながら、悲しんだり、怒ったりするのはおかしい。

まあ、いろいろあるようですが、これは初めて仏の教えを聞いた阿修羅が仏に帰依した瞬間を捉えたものとする解釈が有力であるようです。すると、この表情をどう受け止めたらいいのか?

二つあるようです。一つは仏の教えにふれて喜びを表しているというもの。もう一つは荒々しい心を持っていた阿修羅が自分の裡に仏に帰依する心を見いだしとまどっているというもの。

悲しみか、怒りか、喜びか、とまどいか。実に多様な解釈を許す阿修羅です。

そこで、とんでもない解釈をもう一つ。この像は、今お堂ではなく、興福寺の国宝館に、実に無造作に、他の像と並べて詰め込まれています。このような扱いに悲しみ、怒っているのです。

きちんと安置すれば、喜びの表情を浮かべるかもしれません。

さて、この像を作られた当時の姿に忠実に復元したものがあります。ご覧になりたい方はクリックしてください。ただし、彩色されており現在の姿からは想像できないような派手な像です。イメージが変わることを、おのぞみでない方は、ご覧にならない方がいいと思います。

http://www.narahaku.go.jp/jpgdata/97oyako.jpg

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