句読点と引用符 例2

hamachanさんが、「柳沢厚労相の殆ど正しい発言 」「」というエントリーを書かれています。「殆ど正しい」ということは、幾分かは間違っていると言うことでしょう。(2月10日追記 hamachanさんは、こういう意味で書かれたのではないそうです。コメント欄をご覧ください。)

さて、「句読点と引用符 例1 」で取り上げた例えとは違う点があります。それは柳沢厚生労働大臣が、謝罪も撤回もしていないことです。なぜでしょうか?いくつか理由が考えられます。

まず、第一に、文脈の差です。前回の発言は講演の一部でした。これに対して、今回の発言は厚生労働省内で行われた記者会見でのものです。

厚生労働省のHP(http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/02/k0206.html)に発表されています。これを見ると、多少の編集があるのかもしれませんが、殆ど逐語的に再現されているようです。

これによると、今回は厚生労働大臣が積極的に発言したものではなく、記者の質問に答えたものです。つまり、予め用意されたものではない可能性があります。質問の内容はこうです。

少子化対策というのは、女性だけに求めるものなのかどうか、その辺りのお考えはいかがでしょうか。」

今回の発言を読むときには、全体がこの質問に対する答えであることに注意が必要です。

読んでいきましょう。

若い人たちの雇用の形態というようなものが、例えば、婚姻の状況等に強い相関関係を持って、雇用が安定すれば婚姻の率も高まると、こういう状況ですから、まず、そういうようなことにも着目して、私どもは若者に対して安定した雇用の場を与えていかなければならないと、こういうことでありましょう。」

つまり、「少子化対策というのは、女性だけに求めるもの」ではないと答えているのです。「私ども」というのが自分のことを指しているのか、政治家を指しているのか、厚生労働省を指しているのか、分かりませんが、少なくとも「女性」でないことだけは確かです。(相関関係から因果関係を引き出すのは、問題がある場合が多いのですが、この場合は概ね妥当な判断でしょう。ただ、結婚したから仕事をに就く、結婚したいから仕事に就くという逆の因果関係もあり得ます。本題ではありませんが。)次ぎに進みましょう。

「女性、あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計というようなものが、子供を持つことによって厳しい条件になりますから、それらを軽減するという、いわゆる経済的な支援というようなものも必要だろうと、このように考えます。」

これも経済的な負担を嫌う女性が悪いと言っているのではありません。政府の支援を言っているのですから、「少子化対策というのは、女性だけに求めるもの」ではないと答えているのです。

さらに進みましょう。

「もう一つは、やはり家庭を営み、また子供を育てるということには、人生の喜びというか、そういうようなものがあるんだというような、意識の面の、自己実現といった場合ももう少し広い範囲でみんなが若い人たちが捉えるように、ということが必要だろうというふうに思います。」

ここだけを読むと、「若い人」の意識に問題があるといっているようにも解釈できます。この「若い人」の中には若い女性が含まれていますが、当然男性も含まれています。仮に、若い人の意識に問題があると解釈したとしても、少なくとも、「少子化対策というのは、女性だけに求めるもの」ではないと答えているとは言えるでしょう。「みんなが」というのが誰を指してるのかはよく分かりません。

問題の発言は、この後に出てきます。

「ただ前から言っていることですが、そういうこと(*)を我々は政策として考えていかなければいけないのではないかと思うのですが、他方、ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、それから、子供を二人以上持ちたいと言うきわめて健全な状況にいるわけですね。だから、本当に、そういう日本の若者の健全な、なんというか、希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っているところです。」

ここでは、若い人の意識に問題があるわけではない、健全なのだと主張しているようです。そして、「若者の(中略)希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だ」ということですから、やはり、ここでも「少子化対策というのは、女性だけに求めるもの」ではないと答えているのです。ただ、一見したところ、この前の部分と矛盾があるように思われます。

(*)「そういうこと」というのが若者の意識改革だけなのか、雇用の場の提供、経済的支援も含むのかよく分かりません。

そして、最後に「基本的枠組みとしては、そのようなところです。」と締めくくっているので、全体としても、「少子化対策というのは、女性だけに求めるもの」ではないと答えているのです。

全体として、問題があるようには思えません。記者の質問をはぐらかしているようでもありません。ですから、この答え全体について謝罪する必要も、撤回する必要もないと言うことになります。

第二に「健全」という言葉と「産む機械」の差です。どういう意味で使われていても女性を「産む機械は」に例えるのはあんまりです。それに対して「健全」は何を健全としているかで評価が分かれます。

そこで柳沢厚生労働大臣の答えの「健全な」という部分に注目してみましょう。この判断の根拠は、「ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、それから、子供を二人以上持ちたい」と考えていることです。では、「ご当人の若い人たち」がこう考えているという判断の根拠はなんでしょうか。

それはおそらく国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/)の「結婚と出産に関する全国調査」の「独身者調査」と「夫婦調査」です。これによると18歳から34歳の女性の「いずれ結婚するつもり」とする割合は90%で、この女性の子供の希望数は2.10人です。夫婦の場合は2.48人です。

注意が必要なのは、この理想とするこどもの数が平均値だと言うことです。

ここから先は、柳沢厚生労働大臣が国会で、結婚するか、子供を持つか、何人子供を持つかは、完全に個人の意志に基づくものだ。決して結婚や子供を強制することが許される社会であってはならないという趣旨の答弁や、健全、不健全の定義を問われて、若い人たちの意識全体の状況が、プラスに評価できると受け止めたと言うことだという趣旨の答弁をしたらしいと言うことも踏まえての推測です。

柳沢厚生労働大臣は、若者の中に結婚するつもりはない人も、子供が欲しいとは思わない人も、一人しかいらないと思う人もいて、しかし、平均としては90%、2.10人であること、つまり若者全体を捉えて「健全」といったつもりではないでしょうか?二人以上の子供を欲しいと考える若者だけを「健全」といったのではなく。「ご当人の若い人たち」という表現もそう受け取る余地がありそうです。

もしそうであれば、様々な考え方の「若い人たち」がいることを当然のこととして容認し、そのような考えを持つ権利を認め、非難を加えたり、蔑視したりはしていないことになりますから、謝罪する必要もなければ撤回する必要もないことになります。

また、若者の意識について一見矛盾した印象を与える部分も必ずしも矛盾してはいないことになります。前半は、若者一人一人の意識についての発言であり、後半は若者の全体の意識

についての発言であるということになりますから。

ただ、今回の報道などを見ていて、認識を新たにしたのですが、特に子供を授かりにくい女性、産めない女性にとって、この問題は非常にセンシティブなのです。これまでも理屈では理解していたつもりではあったのですが、これほど深く傷つく女性、あるいは男性がいるということまでは、想像ができませんでした。

中身が正しくとも、悪意のない発言であっても、人を傷つけてしまうことがあるのですから、私も人の気持ちを思いやる心、私の発言を聞いた人、私の書いたものを読んだ人がどのように感じるかを想像する力、国語の力をもっと磨かなければならないです。

さもなければ、平家の殆ど正しい発言と評されてしまうことになりそうですから。

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