リフレ政策の検討 その8

リフレ政策の検討 その7」に、rascalさんからコメントをいただいていたのですが、うまく考えがまとまらず、お返事ができませんでした。まだ、まとまっていないのですが、少し、とりとめのない話を。

「経済学」を論ずる場合と「経済政策」を論ずる場合との関係です。

経済学のモデルには、様々なバリエーションがあります。その中で現実の政策課題を取り扱いうるモデルを使って、経済政策を検討するというのが、基本だと思います。

短期の政策課題に取り組むのであれば、短期のモデルを使うべきでしょうし、長期の問題、たとえば経済成長を高める方策を検討するのであれば長期のモデルを使うべきです。

現在非自発的な失業があると考え、その解決策を議論したいのであれば、常に労働市場が均衡していることを前提として作られたモデルを選んではいけません。動学的均衡モデルで非自発的な失業問題を扱うのは、無理でしょう。

デフレのような貨幣的な現象に取り組むなら、貨幣を含まないような実物モデルを使うのは妥当ではありません。また、需給ギャップがないことを前提とするモデルも多分使えないでしょう。

また、現在、合理的期待形成を前提とするモデルを使っての分析が主流です。しかし、本当に合理的期待形成が行われているかどうかは、理論の問題ではなく、実証の問題です。現実に合理的な期待形成が行われているかどうか、今後行われるかどうかを検討する必要があるでしょう。

脇道にそれますが、私は、合理的期待形成を行う人間像はどんなものであるかを、うまく説明した教科書がほしいと思っています。あるいはある個人が合理的期待形成を行うためのコストの分析、寿命が限られた人間が合理的期待形成に到達できるのか、そういった点もわかりやすく説明した教科書があるといいと思います。私の目から見ると、「経済主体は合理的期待形成を行う」というのは定理であるように感じられます。この定理の基になっている公理系を明示してほしいということです。

元に戻って、ミクロ的な基礎を持つ適切な理論モデルがないときは、たとえアドホックな議論と言われようが、集計量に関する経験則で作ったモデルで政策を検討するのもやむを得ないと思います。

現実に有効な政策を作るためには、モデル選択についてのある種のセンスが必要な気がします。

やけになって浪費に走っている人間と割引率の非常に高い合理的な人間を区別することは、理論の問題ではなくセンスの問題ですから。

人気blogランキングでは「社会科学」の36位でした。クリックしていただいた方、ありがとうございました。今日も↓クリックをお願いします。

人気blogランキング