介護職員 その3
この記事を書くに至った経緯
「介護職員」で、日経新聞の記事に関連して次のように書いたところ、bewaadさんから「介護等における市場競争」というTBを、そしてdojinさんからも「介護サービスは需要過剰?」というTBをいただきました。
「介護職員の賃金が低すぎて人手が足りないなら、市場原理に従って賃金を上げればいいではありませんか。別に絶対的に不足しているわけではありません。給料が低く、有給休暇が取りにくいから人が集まらないだけです。
普段は市場原理を称揚しているのに、なぜか、こういう福祉の分野の労働市場では市場メカニズムに順応して賃金を上げることを考えもしないのでしょうか?」
「介護職員 その2」で、dojinさんへのお返事をしましたので、今日は、これを踏まえてのbewwadさんへのお返事です。「介護職員 その2」での説明が前提になっていますので、できれば先に「その2」をお読み下さい。
以上が経緯でして、これからが本論です。
まず、簡単なことから。bewaadさんは、私が「家計の中での自己供給」と「市場で売買されるもの」も含めた「サービス全体の需給」を念頭に置いて、「供給過小なのに賃金が上がらないのはおかしい」と言っていると理解されています。
これは誤解です。説明不足を反省しています。私が、「介護職員」で言いたかったのは、将に労働力の取引が行われる(家庭の自己供給・需要を含まない)介護労働市場で介護労働力の需要超過(供給不足)であるのだから、賃金を上げようということです。
次は、基本的な部分での議論です。
bewaadさんのご主張を纏めるとこういう風になると思います。
前提として、
1 介護サービスなどは家庭でも供給できる。
2 市場でサービスを購入するときは家庭が支払う。公的な保険制度などによる助成はない。
の二つがあります。
この前提の下で、家庭は家族でサービスを提供するか、市場でサービスを購入するかを決める。具体的には、外で働いて賃金を得て、それでサービスを買うのが得か、働かずに賃金は得られないが、自分でサービスを提供して支払いを減らすのが得かが問題となる。
そして、外で働いて得られる賃金が、支払額よりも高ければ外で働くし、逆なら、自分でサービスを提供する。
ここまでは、手堅い正統派の家庭内生産の理論の展開です。bewaadさんは、ここで、介護サービス提供が労働集約的でコストの多くが賃金であるという新しい前提を置かれます。そして、もし、介護労働者の賃金が家族の賃金より高ければ、家族が自分でサービスを提供した方が得なので、サービスを外部から購入することはない。
従って、こういう結論になります。介護労働者の賃金は家族の賃金よりも安くなければならない。そうしないとサービスの購入者がいなくなり、サービス業が成り立たないから。
そして、サービス産業が発展するためには、
1 さらなる機械化による効率化
2 サービス単価の安い国からのサービスの輸入
しかないと結論されています。
2を実行すれば、日経新聞とよく似たご主張ということになります。ただし、ご自身の出された結論を実行するよう勧めることに、ためらいを感じていらっしゃるようですが。
実は、私は、bewaadさんの議論は、破綻のないものだと思いますし、このような議論は介護などの福祉サービスだけではなく、家庭でも提供できる労働集約的なサービス業一般に当てはまります。つまり、家庭でも提供できる労働集約的なサービス業の労働者の賃金は低いのが自然だということになるのです。広がりの大きな議論だと感じています。
さて、私の意見です。二つあります。
最初は単純なことです。介護サービスについてはdojinさんがご説明いただいたように介護保険制度があり、サービス利用に助成があります。したがって、「市場でサービスを購入するときは家庭が支払う。公的な保険制度などによる助成はない。」という前提、あるいは制約が成立していません。助成があるので、介護労働者の賃金が高くてもサービス業は成立しますし、助成率を上げてより高い賃金を支払うことも可能です。
もう一つの理由は、制度的なものではなく、介護サービスの本質に関連しています。
(続く)
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