メンバー交代型二大政党制の悲劇

三党鼎立ができない条件」で書いたような、思想的に統一されていない二つの政党ができると、「どちらに向かって風が吹いても、与党も野党も明確な政治思想を持つものではなくなったまま、選挙ごとに吹く風のまにまに、政権交代が行われていく」のですが、これは大きな問題を生み出しかねません。 政治思想が統一されていなければ、負けた側の政党の政治家は次の選挙に有利なように政党の所属を変える可能性が高くなります。結果的には負けた政党が分裂して新たな政党が出来上がる可能性が高くなります。新たな政党が財政的にもそれなりに安定するのであれば、この可能性はさらに高くなります。国会議員議席に応じて政党交付金が払われる現在の日本の仕組みは、財政安定の仕組みになっています。 この場合、二大政党制はできるのですが、その政党は選挙ごとに変わっていきます。たとえば、第一回の選挙では共和党民主党、第二回では共和党自由党、第三回では社会党自由党・・・・・・・といった具合です。これがメンバー交代型二大政党制です。 メンバー交代型二大政党制の問題点は、明示的な形でも、暗黙の形でもいいのですが、政党間で与野党という立場が変わっても守る約束が成立しにくくなることです。約束をした相手がなくなってしまうからです。このとき禁じ手が連発される可能性が高くなります。 与野党が対峙する議会政治である限り、一般的には野党の側には統治に対する責任がありませんから、無茶をやる誘因が強くなります。たとえば、赤字国債法案を通さない、日銀総裁の任命を阻止するといった方策です。自分が与党になって同じことを野党にやられることを想定すれば、実行しかねることを平気でやってしまいます。禁じ手連発です。 政権交代後、自分が困ってなんとか元与党と話し合って合意を取り付けようとしても、元与党が責任感が異常に強ければ格別、そうでなければ合意が成立しません。元与党が禁じ手を使ってくる可能性が高いのです。特に、自分が禁じ手を連発され、追い込まれて政権を失った場合には、その恨みがありますから、そういう行動をとる可能性は高まるでしょう。真面目で、誠実で、責任感の強いリーダーがいても、メンバーを抑えるのは容易ではありません。その時、自分が野党に戻っても禁じ手は使わないと約束して、つまり自分も譲歩して、ようやく元与党から譲歩を引き出す可能性が出てきます。 可能性が出てきても、それが実現するかどうかはわかりません。元与党からすれば、自分が選挙に勝ち、現与党が野に下ったとき、肝心の現与党が分裂してしまい、実質的にはなくなってしまう、そして禁じ手を使わないという約束が意味を失うと予測すれば、自分が譲歩する意味がありません。 ゲーム理論をやられた方なら、無限に繰り返すゲームでは囚人のディレンマから逃れられる可能性があるという話を聞かれているかもしれません。ゲームを無限に繰り返すためにはプレイヤーが固定していなければなりません。より厳密に言えば二人のプレーヤーが、このゲームは今ゲームをやっている二人で永遠に続くのだと信じていればいいのかもしれません。 法律をやられた方なら、禁反言は同一人についてのルールであることを思い出してください。同一政治家が所属政党を変えることで、禁反言のルールを犯しても罰されないですむようになると、このルールは力を失います。 政治家が、政権争いのために禁じ手を連発するようでは、まともな政治は行われず、経済や国民生活は混乱します。 それを避けるためには、相当多くの国民が、浮動層にならず、「政治思想に思い入れを持ち、その政治思想に基づく政治を実現しようと、粘り強く投票を繰り返」す必要があるのです。その政治思想の軸がなんであるかは別にして。政党にはその軸を見つけ出し、提示してほしいものです。 それができないなら、小選挙区制を採用し、二大政党制を実現しても、イギリス型のメンバー固定型の二大政党制ではなく、メンバー交代型二大政党制になる恐れがあります。 政治的風土が違えば、選挙制度が同じであっても、政治の在り方は大きく違い、期待できる政治の成果(本当の意味でのパフォーマンス)が違ってくるのです。選挙制度は万能ではありません。選挙制度を単独で考えるのではなく、政治風土との関係で考えなければなりません。 人気blogランキングでは「社会科学」の24位でした。 今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング