政治思想は、どこまで力があるのか?

政治思想の対立軸を考える。その3」砂原先生に頂いたコメントについての感想です。

第一の軸、第二の軸はヨーロッパや、アメリカの政治を考えるうえで重要な軸、理論的にも実際にも、であると思っています。これらの国々に深く根差した軸なのでしょう。これらは日本の政治の理論的な分析にも有用な軸であると思います。しかし、それがどの程度重要なものとして日本の政治家や国民に意識されているかは、また別の問題でしょう。

復興、原発、環境、景気対策、TPP、行政改革、外交姿勢など、現在の日本にはさまざまな問題があり、これらの問題については、三つの政治思想のどれかを共有している者の間でも意見が分かれると考えられます。言い換えれば、政治思想ではからは、解が得られない問題が数多く存在しているのです。これらの問題に関心を持ち、政治の道を志した政治家が、自分の潜在的な意識の中にある政治思想を意識しているとは限りません。これらの問題に関心を持つ国民が、政治思想を深く理解しているとも限りません。

現実に、日本の多くの政党の場合には、こういった政治思想が綱領というような基本文書で現れるわけではありません。強く、政治思想が打ち出されているわけではないでしょう。政党に属するものが、そのような思想を共有するのが当然であるとは限らないのです。政党が、二つの軸で表される政治思想でみれば幅の広いメンバーの集まり、政治家の集団になる可能性は十分にあるのです。

政党がそのようになっていれば、政党が国民に提示する政策の束を、さまざまな政治思想の影響を受けながら決めることになるでしょう。せいぜい、党内の政治思想の分布に従って、風味がつく程度と言ったら言い過ぎでしょうか。選挙民に対しても、風味がついたさまざまな課題に対する政策の束が提示されるにとどまることになります。支持者も様々な風味がまじりあったこのような政策の束を支持するグループが集まることになります。

したがって、政治思想がはっきりした政党の鼎立が確実に成立するとは言い難いですし、その可能性は、以外に高くないのではないか、と思います。自信があるわけではありませんが。

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