時節柄、現在の日本の政治思想の対立軸を考えてみました。まだ、結論を出せていないのですが、そのプロセスを書いてみたいと思います。ここで政治思想というのは政治に携わるときの基本的な考えといった意味合いです。
なお、「
自由民主党は社会民主主義政党か?ちょっと体質が違うかもしれない。」で、現在の政治思想を取り上げたことがありますが、これに
政治学者の卵さん(今は、孵化して
政治学者になられているかもしれません。)から頂いたコメントが大いに参考になりました。
まず、二つの軸で考えてみました。
第一の軸 市場(取引)重視 対 社会(共同体・連帯)重視
第二の軸 伝統・秩序重視 対 自立・自由重視
ここで、第一の軸については説明が必要でしょう。
現在、所得や富の分配を与えられたものとして、何を生産するか、そのために資源をどのように配分するかといった点については、基本的には市場に委ねるというのは、ほとんどの
政治勢力の間でおおむね受け入れられています。計画経済を主張する勢力は、あるでしょうが、ほとんど力がありません。なお、政府が何かを市場で購入することにより、何が生産されるかを、部分的に決めることも、おおむね受け入れられているでしょう。その規模と何を購入するかについては、ある程度、幅がありますし、そこに所得や富の再分配のための配慮をどの程度織り込むかという点についても微妙な差があります。
市場で決まる所得と富の分配をおおむね受け入れ、大きな修正を加えないという政治姿勢を「市場重視」という言葉で表現し、大規模な再分配を行う立場を「社会重視」と呼んでいます。「市場重視」派の中にも、そもそも、市場で行われる分配が本来あるべきもの、正しいものだという考え方と(この立場でも、私的な慈善による再配分は認めるでしょう。)そのよな分配に問題があることは認めるものの、再分配を行うことによって市場の機能(たとえば経済成長)が損なわれるから再分配はしないほうがいいという意見、さらに、適切な再分配ができそうにもないという諦観に基づいて『市場重視」の立場に与する物が含まれているでしょう。
次の4つの組み合わせが形式的にはあり得ることになります。この組み合わせと対応する
政治勢力を表にすると、次のようになります。
ここで、勢力φについて問題があります。市場重視と伝統・秩序重視は組み合わせとしてあり得ないような気がします。市場とは、人間の活動への制約を排除する性質があるからです。ここでは、( )をつけておき、現実には存在しないということを仮定して議論を進めていきます。
この三つの理論的区分けに対応する
政治勢力を、現実の例で探ってみようとすると、
政治勢力Tの純粋型に当てはまるものは、戦後の日本には、かつてはなかったように思います。
政治学者の卵さんの表現をお借りすれば、「大陸型の
保守主義が2/3,
自由主義が1/3くらい混じった政党」であった
小泉政権以前の
自民党がありました。そうだとすると、かつての
自民党は
政治勢力Tと
政治勢力Vの結合体であったことになります。そして、伝統的共同体が崩れていくことに適応して、政治権力を維持するために
政治勢力Vが
自民党内の主流派となったり、分離独立して独自の政党を結成しているのかもしれません。(
政治勢力Tは、伝統的な農林村や漁村の伝統的な共同体を支持基盤にするでしょう。)この場合、再分配は
社会保険を基軸とする
社会保障制度+公共事業など国の購入+伝統的共同体への
補助金などによる支援によってなされることになるでしょう。
政治勢力Vは、再び
政治学者の卵さんの表現をお借りすれば、「吸収したはずの
自由党/ホイッグに乗っ取られた」保守党、
サッチャーの「保守党」がいい例だろうと思います。現在は独立した政党を構成しているかもしれません。現在であれば、富裕層、グローバルな活動をする大企業、新興企業の経営者などが支持するのでしょうか?公共による再分配は、ミニマムになるはずです。慈善への税制優遇は、この姿勢と親和的でしょう。
政治勢力Sは、
社会民主主義政党なのではないかという気がします。昔の
民社党はこのタイプでしょうか?この勢力の基盤は、共同体であっても自ら結成するようなタイプ、
労働組合を基盤にしそうです。ただし、
労働組合が所与のものとなった場合には、伝統的共同体に転化するかもしれません。おそらく典型的なものは、自分で参加を決める
NPOが、基盤になるでしょう。三度、
政治学者の卵さんの言葉をお借りすると「伝統的な意味での共同体に対しては必ずしも親和的ではな」く、このような共同体からみてもこの勢力は胡散臭いものに思われるでしょう。この勢力の再分配は、必ずしも
社会保険を基軸とはしない
社会保障と、
NPOなどの活動を通じた現物によるものになりやすいような気がします。再分配を受けるのは権利であり、再分配をするのは国家の義務であるという主張を内包している考え方かもしれません。この場合、本来なら、その財源を負担するのも国民の義務であるということになるはずです。
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