先祖がえり?

NHKのニュースから

鉄道の駅員らが乗客から暴力をふるわれるトラブルが、昨年度、全国で合わせておよそ900件と、これまでで最も多くなったことから、鉄道各社は13日から全国の駅で暴力の防止を呼びかける取り組みを始めました。

このうち、東京のJR新宿駅では、駅員が、「STOP暴力」と大きく書かれたポスターを改札の近くに貼り出しました。

駅員などが乗客から暴力をふるわれるトラブルは、全国のJRや私鉄、それに地下鉄などのまとめで、昨年度1年間に合わせて911件起き、これまでで最も多くなっています。

このうちおよそ60%は酒を飲んだ乗客によるもので、金曜日の午後10時以降が特に多くなっています。

また、乗客の年代別では、30代が減少しているのに対し、40代と50代が増えているということです。

今回の取り組みには全国の76社が参加していて、合わせて5万6000枚のポスターを駅などに貼って、乗客に、暴力の防止を呼びかけることにしています。

乗客の、会社員の男性は「自分たちも、見て見ぬふりをしないようにしたい」と話していました。

JR東日本の溝部達也次長は「暴力は許されないことなので、鉄道業界として、毅然とした態度で臨んでいきたい」と話しています。

この背景はいろいろあると思うが、ひょっとしたら、雇用関係の先祖返りかも。

大内伸哉先生の『雇用はなぜ壊れたのか』(ちくま新書775)(pp.211-212)によると雇用契約の淵源は奴隷にあるそうだ。以下は私の拙い要約である。

ローマ帝国の時代には労働をするのは奴隷であったので、奴隷を働かせるのは物の貸し借りと同じ形式の契約によっていた。フランス民法典では雇用契約と賃貸借契約は同じ契約の類型であった。フランス民法を引き継いだ日本の民法でも賃貸借契約と雇用契約に関する規定には似ているところが多い。

イギリスでは雇用契約はもともと、contract of service であったが、サービスの語源は奴隷である。(イギリスは、ゲルマン法だろうか?)

さて、するとこういう乗客の心の中で、無意識のうちにこの歴史がよみがえり、駅員のことを奴隷だと思っているのではないだろうか?自分の奴隷なら、気分次第で、殴ってもいいわけである。ただ、こう考えても、他人の奴隷を殴って傷つければ、奴隷の所有者から損害賠償を求められるはずだから、安易には殴らないはずである。

鉄道会社に対しても、優位に立っている(「俺はお得意様だぞ」)と思っているなら、「鉄道業界として、毅然とした態度で臨んでいきたい」というのは効果があるかもしれない。

それにしても、「40代と50代が増えている」というのは情けない。

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