政治家の発言の引用?

句読点と引用符 例1 」では、柳沢元厚生労働大臣の発言の報道のされ方について議論したのですが、今回は鳩山前総理の発言がどのように報道されたかです。 面白いことに、琉球新報が「方便」という鳩山元総理が使った言葉にだけ関心が集中して、本質からずれた報道がなされていると主張しています。琉球新報が方便という言葉を最初に報道したのですが。 2011年2月13日に記事が3本載っています。ゴチックにしたのは平家です。 このうち一番再現性が高いのはこの記事です。 記事1  ―県内移設理由として在沖米海兵隊の抑止力は唐突感があった。  「徳之島も駄目で辺野古となった時、理屈付けをしなければならなかった。海兵隊自身が(沖縄に)存在することが戦争の抑止になると、直接そういうわけではないと思う。海兵隊が欠けると、(陸海空軍の)全てが連関している中で米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。海兵隊自身の抑止力はどうかという話になると、抑止力でないと皆さん思われる。私もそうだと理解する。それを方便と言われれば方便だが。広い意味での抑止力という言葉は使えるなと思った」 この記事を読むと「」の中で方便といわれれば方便だがとなっています。質問は「 」になっておらず、質問の趣旨だけを伝えたというつもりでしょう。 そしてこれは鳩山前総理が自分から方便という言葉を選び出して使ったようにしか読めません。しかし、実は、方便という言葉が質問の中で使われていたのです。結果的には自社の記者がが方便という言葉を使ったことを隠してしまいました。鳩山前総理からみれば自分が選んだのではない、自分が考えていなかった言葉を自分が選んだ発言とされたのですから、納得のいかない報道の仕方でしょう。 記事2 タイトルだけ “抑止力は方便“鳩山氏に不信再び 県内関係者「地元で声聞いて」 この記事では地元関係者の声は「 」に入れられ、抑止力は方便は「」ではなく、” ”に入れられています。鳩山前総理の言葉をそのまま再現したのではないというニュアンスを出したかったのでしょう。 記事3 タイトル 「抑止力は方便」断念理由後付け 鳩山前首相、普天間で証言 本文【東京】鳩山由紀夫前首相は12日までに琉球新報などとのインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の移設交渉の全容を初めて語った。「県外移設」に具体的な見通しがなかったことを認めた。「県外」断念の理由とした在沖米海兵隊の「抑止力」については「辺野古しか残らなくなった時に理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便といわれれば方便だった」と述べ、「県内」回帰ありきの「後付け」の説明だったことを明らかにした。 この記事のタイトルでは抑止力は方便は「 」に入れられています。また、本文では「」に方便といわれれば方便だったとあります。これを読んで、鳩山前総理が自分から「抑止力は方便だった」と言ったと受け止める人がいても不思議はないでしょう。 では、実際の発言はどうだったのでしょうか? 2011年2月19日の記事  【東京】米軍普天間飛行場の県内移設をめぐって、鳩山由紀夫前首相が琉球新報などのインタビューに対し「抑止力は方便」と語ったことの真意について議論が起こっている。鳩山氏は記事掲載後、記者団に「『方便』とは彼ら(記者)がそう言った」と述べた。「方便」という言葉の有無に関心が集まっているが、発言の核心は県内移設という結論を説明するために、後付けで探し出した理屈が「抑止力」だったということ。2度行った鳩山氏とのやりとりをあらためて詳しく掲載する。 【初回=1月31日】  ―「学べば学ぶほど抑止力」を辺野古移設の理由とした。「抑止力」は意外感もあり(県民には)裏切られた感もあった。  「そうだろうと思う。自分も国外、県外と模索したが結果として議論が成就できないという判断になり辺野古しか残らなくなった。徳之島も駄目だ、辺野古だとなった時に理屈付けしなければならない。その中で抑止力という言葉を使った」  「非常に幅広い米軍の存在がワンパッケージで、海兵隊も海軍も空軍もあり、一体となって沖縄を中心に、横須賀もあるが、全体の構成の中で抑止力だと。近隣の国々も日本に対して、簡単に攻撃できないというような抑止力を働かせているのではないかと広い意味での抑止力という言葉は使えると思った」  「海兵隊も地上部隊とヘリ部隊が切り離せないとの話になり、全体としての米軍の存在が意味があるんだということでの抑止力の言葉を私としては使った。それはまさに徳之島も駄目と。最後に辺野古に戻ってしまっていく中でのある意味で、どうそれを理論的に正当化できるかという中で使った言葉だ」  ―後付けか。  「そう。あなた方からすれば何でいまさら抑止力なのかと思われたと思う。辺野古に戻らざるを得ない苦しい中での結論を求めなければならない中で、どう理解してもらえるか考えあぐねた中で抑止力という言葉を使った」 【2回目=2月8日】  ―本音ベースで見つからなかったというのではなく、「抑止力」という方便が必要だったのか。  「それは方便と言われたら申し訳ないが。確かに海兵隊自身の役割からすると、一朝有事の時に危険な場所から米国人を救出するなどの役割で、存在が戦争の抑止、攻撃の抑止というわけではない。ただ全体として米軍の配置を見て、四軍がそろっていることが必要。一つ欠けると米軍自身も十分な機能を果たせず、全てが連関している中での抑止力という話になる」  「よくよく海兵隊自身の抑止力はどうかとなると、それは抑止力ではないだろうと皆さん思われる。私もそうだと理解する。が、トータルの米軍が仕事がしやすいような状況をつくる中での海兵隊の役割がある。海兵隊がいるからほかの米軍全体が機能する。全体は日本に対する抑止力になっている、という意味で抑止力と言えなくもない。それを方便だと言われれば方便だが」 この記事が、忠実に対話を再現したものだとすれば、二つのことが分かります。 一つ目 方便という言葉を最初に使ったのは、鳩山前総理ではない。記者が選んで使った。 二つ目 「それを方便だと言われれば方便だが」という前総理の発言は、最初の記事でも使われてるのと同じです。 琉球新報の記者が方便という言葉を使い、その言葉を鳩山前総理が自ら選んで使ったかのように報道し、鳩山前総理が「抑止力は方便」と言ったと受け止められかねない大見出しをつけでしまったのが、本土のマスコミが方便報道になってしまった原因ではないかと思われます。「それを方便だと言われれば方便だが」を「方便といわれれば方便だった」と文末を微妙に変えてしまったのもうまくないでしょう。琉球新報の戦術ミスではないでしょうか? 「   」なしの海兵隊自身は抑止力ではないといった重要な中身に沿った見出しをつければよかったのではないか思います。 なお、私には「それを方便だと言われれば方便だが」という発言には、あなたは方便というけれども、そう言われればそう言われても仕方がないかもしれないが、私にはそんなつもりはなかったというニュアンスが込められているように感じられます。もしそうならご本人は「方便だった」という記事には納得できないでしょう。記者にひっかけられたと感じているのかもしれません。 ついでですが、マスメディアは「  」の使い方のルールをもっと明確にすべきではないでしょうか?社内でも読者に対しても。現在の印刷技術なら強調したいときに「 」を使わなくてもゴチックにするなど工夫はできるはずです。 「  」は引用符としてだけ使う、つまり発言を再現する場合にだけ使うというのが、読者には、一番、はっきりします。 クリックをお願いします。 人気blogランキング 人気blogランキングでは「社会科学」では56位でした。