自由民主党は社会民主主義政党か?

突然の話題ですが、雪斎さん(http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-994a.html)に刺激されて。

(お詫び 雪斎さんのエントリーへのリンクが間違っていました。申し訳ありません。)

現在の日本には自由や民主主義に反対する人はいないでしょう。いかに100年に一度の危機に直面しても、計画経済でこの危機を乗り越えようとする人もいないでしょう。市場経済は大前提として受け入れられています。その規模は別としてセイフティーネットの必要性もリバタリアンを除けば、否定する人はいないでしょう。

このようなコンセンサスを前提に、専ら内政を二つの軸で考えることができるのではないかと思います。第1の軸はセイフティーネット、第2の軸は所得の再分配です。

セイフティーネットがどのようなものであるべきか、いろいろな方向性があるでしょう。この方向性に差が出てくるのは、「みんなが幸せになるにはどうしたらいいか?」という問いに対する答えの差ではないかと思うのです。大きく分けると二つの答えがあるようです。

一つは「みんな自分の力で幸せをつかもう。」というものです。社会の中に差別があって、本人の努力ではどうしようもないとなれば、このような答えは出せません。そこで、この立場は、「例えば性や皮膚の色のように本人の努力では変えられないものに基づく差別反対」という立場とうまく結合します。その意味では人権を守ろうとする立場を取ることになります。この立場は、「機会均等を前提とした自己責任」により、みんなが幸せを求めて努力していこうということになrます。ここでは、差別を排除した上で自由に競争することが重要であり、国がやるべきことは差別の排除とインチキがないように競争のルールを守ることです。競争で努力が不足して、あるいは運が悪くて幸せになれなかった者のためには、国は最低限の生活保障をする必要があるでしょう。そういうことは慈善に委ねればいいという立場もあるようです。

もう一つの答えは、「お互いに助け合ってみんなで幸せに」です。国は最低生活の保障を越えたセイフティーネット、病気や怪我、老い、失業などいざという場合には助け合う仕組みを作り、運営すべきだと言うことになります。あるいはさらに落ちこぼれてしまった人には、人間関係を取り戻して生きていけるように助けようということになります。「社会的な連帯」によりみんなで幸せになろうとする考え方です。

第2の軸の所得の再分配に移りましょう。ここでは、再分配を完全に否定しないまでも最小限にとどめるべきとする流れと、比較的大規模な再分配を肯定する流れに大別できるでしょう。どちらの流れを支持するかは、再分配前の市場で決まる所得の分配をどう評価するかに依るところが大きいのだと思います。

生産への貢献に応じた所得の分配を理想とするなら、市場で決まる所得の分配こそその理想に近いものであり、これに手を加えることはできるだけ避けるということになります。こう考えると、おそらくは財政の規模は小さく、消費税、フラットな所得税を中心とした税によってまかなわれることが望ましいという路線につながるでしょう。いささか雑な言い方で気が引けるのですが、これを「小さな財政」路線としましょう。

もう一つの流れはこうです。生産への貢献に加えて、必要にも配慮した所得の分配が必要だと考え、貧富の差に眉を顰めるようであれば、財政を通じてかなり大きな再配分を行う路線が志向されるでしょう。必然的に財政の規模は大きく、財源は累進性のある所得税が有力な選択肢となります。財政支出の中身は再配分効果を持つ者が基本で、時に応じて、また、どの格差をもっとも問題と考えるかによって地方での公共事業であったり、社会保障であったりします。この路線を「大きな財政」と呼びましょう。

さて、この二つの軸の考え方は、全く独立であるというわけではなく、親和性の強い組み合わせが二つあります。

一つは、「機会均等を前提とした自己責任」+「小さな財政」であり、「新自由主義」路線である。もう一つは、「社会的な連帯」+「大きな財政」であり、「ヨーロッパ大陸社会民主主義」路線である。アメリカの共和党民主党を強いて分類すれば、共和党は「新自由主義」的であり、民主党は「ヨーロッパ大陸社会民主主義」的です。

小渕総理のころまでの自民党を振り返ってみると、どちらの路線を取ってきたかは明白です。いまも「『強者が栄え、弱者は滅びる』という感じは自民党内にはあまりない」ということであれば、自由民主党には、「我が党は日本の風土に根ざした保守政党であり、社会民主主義政党でもある。」と主張する資格があるのかもしれません。

面白いのはイギリスの保守党の歩みです。かつての保守党の中には、やや「ヨーロッパ大陸社会民主主義」風のウェットな路線も存在しており、それがサッチャー党首の下で完全に「新自由主義」路線にシフトし、政権を奪取し長期政権を維持することに成功しました。しかし、その後の反動にうまく対処できず、労働党に政権を奪回されました。これを他山の石として・・・・ということがあるのでしょうか。

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