労働時間と賃金と健康問題とをそれぞれ切り離していいのかなぁ

hamachannさんが、「丸尾拓養氏のマクド判決批評」(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_45be.html)というエントリーを書かれています。一部引用します。

日経BIZPLUSに連載されている丸尾拓養氏の「法的視点から考える人事の現場の問題点」が、例のマクドナルド店長事件の判決を取り上げています。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm

基本的に、適切な批評だと思います。

〔中略〕

>翻って考えると、労働時間量に応じた割増賃金を支払うことが妥当な労働者は誰かが問われているとも言えます。こうすると、この問題が成果主義賃金の導入と関連していることが明白になります。しかも、その背景には、成果で評価することについての経営者だけでなく労働者のコンセンサスの増加もうかがわれます。

>また、(1)これまでの長期雇用システムでは、早くから管理監督者として割増賃金を支払われなかったとしても、中高年になって厚く処遇されることで、労働者は賃金を取り返しているとも考えられます。(2)つまり、長期決済型の賃金システムでは、定年まで雇用保障され賃金保障されることで、トータルとしては労働に相応した賃金の支払いを受けているのです。このことはサービス残業問題とも共通であり、比較的若年の労働者に割増賃金を支払うことは、中高年になったときに賃金が低くなることにつながる可能性があります。こうした実態があったからこそ、管理監督者の問題には労使双方があえて積極的には触れてきませんでした。

>(3)しかし、賃金制度が変化し、これと関連して長期雇用システムが変容したことで、短期決済型の賃金を求める声が大きくなり、管理監督者に関する法律解釈と実態との乖離(かいり)が現実化してきました。(4)こうした中で、形式的な法律解釈に基づいた裁判紛争が提起されたことで、法的には正しくても現場感覚としては実態に合わないかもしれない判断がなされたのです。

というあたりは、まさに私が一昨年以来書いたり喋ったりしてきたことです。

問題は、本事件の原告は残業代を払えということよりも、長時間労働を強いられたことを主として訴えていたにもかかわらず、裁判官はほとんどそれに注意を払っていない(残業代を払わせるんだからそれでええやないか、というような一節があります)ことなんですが、

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=3

>しかし、(5)労働時間と賃金と健康問題とをそれぞれ切り離して、現実的な対応策を考える時期にきていると思われます。

というところはもっともなんですが

(引用終わり)

引用中の(数字は)平家が補った部分です。

丸尾弁護士とhamachanさんは、引用部分については意見が一致しているようです。

(1)、(2)については、実態の説明としては私も理解できるのですが、(3)、(4)、(5)には、なお、検討の余地が残っているような気がします。以下、検討が必要だと思われる疑問を掲げておきます。

(3)について

3-1 「賃金制度が変化し、これと関連して長期雇用システムが変容したことで、短期決済型の賃金を求める声が大きく」なったのだとしたら、「早くから管理監督者として割増賃金を支払われなかったとしても、中高年になって厚く処遇されること」がなくなり、「労働者は賃金を取り返」せなくなっているのではないでしょうか?

3-2 「長期決済型の賃金システム」でなくなったことにより、労働者は「定年まで雇用保障され賃金保障されることで、トータルとしては労働に相応した賃金の支払いを受け」られなくなっているのではないでしょうか?

3-3 もしそうであれば、「管理監督者に関する法律解釈と実態との乖離(かいり)が現実化」してきたのではなく、中高年になっても厚く遇されるとは限らないような方向に、雇用保障が薄くなるように、賃金保障がなくなるように変容した賃金・雇用制度と、名ばかり管理職に将来の期待を背景として残業手当を支払わないという旧来の慣行(実態)との乖離が現実化してきたのではないでしょうか?

3-4 そして、実は、「管理監督者に関する法律解釈と実態との乖離(かいり)」が解消してきたのではないでしょうか?

(4)について

4-1 「こうした中で、形式的な法律解釈に基づいた裁判紛争が提起されたことで、法的には正しく」、変容した賃金・雇用制度の実態にも合う「判断がなされた」のではないでしょうか?

4-2 つまり、「実態」に合っていないのは、名ばかりでも管理職にしておけば労働者は残業手当をもらわなくとも納得してくれるはずという使用者側の「現場感覚」ではないでしょうか?

(5)について

これは、単純な問題ではありません。少し前置きが必要です。

市場というものをどれぐらい信頼するか、人によって様々です。経済学者は長い間、市場というものの分析をしてきました。そして、いくつかのコンセンサスが得られています。

そのコンセンサスを非常に単純化して言えば、こういうことになると思います。

1 市場が理想的に機能した場合には、大きな成果が得られる。

2 その一つとして所得については、生産への貢献に応じた分配がなされる。

3 ただ、この分配が別な観点、例えば、公平や平等といった価値観から見て適切なものかどうかは分からない。

4 市場が理想的に機能する条件は、現実の世界では必ずしも満たされていない。

3,4の問題があるとしても、しかし、それでも市場メカニズムが優れた制度であることには間違いはありません。一つには、消費者が望むようなものを作ることが、生産者の利益になる仕組みだからです。もう一つは、生産を効率的に行い、資源を無駄にしないことが生産者の利益につながるシステムであるからです。例えば、営利企業は、原油価格が上がれば、それをできるだけ使わないようにします。これを、貴重な資源を節約しろと国家権力が命令しなくても、自発的に企業は節約に励みます。当然、小さな政府ですみます。

地球全体で資源の制約が意識されるようになっている現在、生産者に資源節約を行うインセンティヴを与える仕組みの重要性には、社会的な弱者を守るという観点から市場メカニズムに批判的な方々にも異論がないでしょう。まして、生産者である企業の経営者は、これを市場メカニズムの長所として支持するはずです。

ところで、この資源節約のインセンティヴシステムが、有効に機能しない場合があります。それは、その資源の価格がゼロである場合です。ミクロ経済学的に言えば、自由財、価格がゼロの時、供給が需要を上回る財です。この場合、いくらこの資源を使っても費用はかかりませんから、この資源の節約をするインセンティヴが営利企業にはありません。

予断ですが、社会に自由財を節約する必要がある場合、一つの方法として、何らかの規制により、国家権力によって市場を作り出すことが考えられます。最近の例で言えば、CO2の排出権というものを作り出し、市場メカニズムを利用して、地球の温暖化を止めようとしています。もう一つのやり方として、国が直接に規制を行うというやり方があります。

一方、全く逆に、国家権力が自然にできた市場の存在を否定し、その市場での取引を禁止しているもあります。人身売買、奴隷は現在認められていません。いかなる市場メカニズム礼賛者も、奴隷制度を認めることはないでしょう。たとえ自然にできたものであれ、市場での取引が許されない分野があるというのが、近代社会の良識でしょう。経済学的に考えれば、個人の自由意志を奪うような制度、取引を認めることは、市場の機能の破壊にもつながります。

閑話休題

さて、労働市場でも、資源の効率的な利用を促すという市場メカニズムは有効に機能しています。労働者が不足してくれば、機械を使うというのは、昔から行われてきました。パートタイム労働者の賃金がフルタイム労働者の賃金より割安であれば、パートタイム労働者を活用しますし、不足して来れば賃金が上昇し、パートタイム労働の投入を減らそうとします。フルタイム労働に切り替える場合もあるでしょうし、機械に置き換える場合もあるでしょう。もし、非常に賃金が上昇すれば、生産活動そのものをやめるかもしれません。生産されたものの価値よりも、生産に費やされた資源の価値の方が大きければそのような生産は社会的に見て無駄ですから、生産をやめることは生産的なのです。(将来、人手不足の続く都心部で、コンビニの24時間営業も見直されるかもしれないと思っています。)

さて、このような労働市場のメカニズムが働くためにも、労働者の賃金がゼロであってはなりません。普通、労働市場で賃金ゼロということはないでしょう。ですからこの条件は満たされると考えて良いでしょう。(ただし、暴力的な方法で事実上、賃金ゼロにするという事態は起こりえます。)問題は、ある一定額を支払えば、何時間でも労働者を働かせることができる場合です。

こういう労働契約を結んだ場合、この労働者に長時間労働をさせても費用は増えません。長時間労働させればそれに応じて賃金を増やさなければならない他の労働者を使うより、この労働者に長時間労働させる方が、営利企業としては得です。

この場合、長時間労働に伴う健康や労働者の生活に与える弊害を別にして、二つの面で答えなければならない問題があるように思います。

一つはよく取り上げられる所得の分配の問題です。

5-1 長時間の労働に見合うだけの賃金がこの労働者に支払われているといえるかどうか?成果に応じた賃金が払われると言っても、成果とは何か?成果に見合う賃金とはいったいどれぐらいの額なのか?

5-2 成果を上げる方法が、アルバイトの部下がシフトに穴を開けたときに自分が代わりをすること、そもそも、アルバイトを雇わないで長時間働くことであったとしたら、その成果に見合った賃金とは何なのか?

5-3 また、この労働者が長時間労働する結果、雇われない労働者へは賃金が払われないのですが、これは分配の問題としてどうなのか?

これと並んで重要です(と私は思います。)があまり取り上げられないのが、労働力という生産資源の配分の問題です。

5-4 このような無制限労働時間労働者が、社会的な評価の高い、生産性の高い労働者であるとしましょう。時間に応じて賃金の支払われる労働者が生産性の低い労働者であったら何が起こるのでしょうか?

一方で、社会的な価値の高い労働者には、それにふさわしい仕事を割り当て、必要な休養をとって高い生産性を長期的に発揮してもらう。他方、まだ熟練度の低い労動者には、それほどむずかしくない仕事を割り当てる。本来、これが望ましい仕事の割り当てです。これは労働力の配分の問題です。(それほどむずかしくない仕事がデッドエンドの仕事である場合には、また別の問題が起こりますが、ここでは取り上げません。)

労働市場には、本来、このような所得の分配と資源の配分を達成する機能が備わっています。しかし、ある一定額を支払えば何時間でも労働者を働かせることができる、このような契約を認めると、このような市場の機能が失われてしまいます。

名ばかり管理職の問題、サービス残業の問題は、正義の問題、労働者の健康の問題もあるのですが、市場の機能を妨げるという点、特に資源配分をゆがめる点も意識されるべきです。成果主義賃金は、資源配分をゆがめないでしょうか?

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