ここにもパーセプションギャップが

ギャップ」で、パーセプションギャップについて触れたのですが、また、考えさせられる事例がありました。

2007年7月27日の毎日新聞の社説(http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070727k0000m070169000c.html)を読んで、不思議な感覚に襲われました。

社説:タリバン 罪なき人々を傷つけるな

 無防備な外国人を誘拐して政府に要求を突きつける。要求が満たされなければ容赦なく人質を殺す--。それがイスラムの正義だと言われても、誰が納得するだろう。

 アフガニスタンイスラム原理主義組織タリバンに拉致された韓国人牧師が殺害された。なお22人の人質がいる。韓国政府は特使をアフガンに派遣して解放を図る構えだが、情勢は予断を許さない。

 殺された牧師の遺体には10発もの銃弾が撃ち込まれていたという。牧師が病気になり歩けなくなったため殺されたという報道もある。まさに冷血の所業ではないか。

 だが、捕らわれた人々は韓国のキリスト教会が派遣した信徒たちで、南部カンダハルの病院などでの奉仕活動が目的だった。首都カブールとの間をバスで走っている時に誘拐されたが、アフガンの恵まれない人々のために働く彼らを敵とみなす理由はないはずだ。

このような行動に賛成をするわけではありません。また、亡くなられた方は、本当にお気の毒です。しかし、この社説の認識には違和感を覚えます。

「捕らわれた人々は韓国のキリスト教会が派遣した信徒たちで、南部カンダハルの病院などでの奉仕活動が目的だった。」のは事実でしょう。しかし、韓国のキリスト教会は奉仕を最終目的にしていたのではなく、アフガニスタンでの布教を最終目的にしていたのではないでしょうか?

そして、布教の対象は、ムスリムイスラム教徒)だったのではないでしょうか?

もしそうであれば、それはムスリムの側が「彼らを敵とみなす理由」、それも十分な理由になります。

イスラム教徒として絶対にしてはならないことは、神を捨てることです。神の教えの一部に背くことと、神を捨てることの間には大きな差があります。神を捨てるというのは、神を信じなくなると言うことで、無神論者になること、他の宗教に改宗することです。

最初から他の宗教を信じていることと、一旦イスラムの信仰に入ってから、神を捨てるのとは全く評価が違います。

そして、ムスリムイスラムの信仰から引き離し、他の宗教に改宗させようというのは、イスラムに対する最も悪質な攻撃なのです。そのようなことをする人間はイスラムの信仰の「敵」です。イスラムの側からすれば、そのような攻撃を加えてくるものに反撃するのは当然で、「イスラムの正義」なのです。

この社説は、この問題の宗教的側面を理解していないように思われます。事件の経緯を追いかけるのは結構ですが、社説であれば、もっと、多角的な視点からの深みのある分析を期待したいものです。

なお、日本人でアフガニスタンなどに行かれる方は、少なくともイスラムの敵と見なされることのないよう、事前にイスラムについて勉強し、信仰の問題については慎重に行動されることをお勧めします。

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