反省 その後
「反省」で、「反省しているなら、形で表し、罰を受けるべきである、罰を逃れようとするようでは、本当には反省していないのだ。こういう感覚ものかたがたもいるのです。どちらが正しいとか、間違っているとかいうことではありません。微妙な差があるのです。」と書きました。
新聞報道によると、中国との首脳会談で、安倍総理が「私の歴史認識は、我が国がかつてアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与え、傷跡を残したことへの深い反省の上にある。戦後60年の平和国家としての歩みを正当に評価して欲しい」と述べ、これに対して中国側は、「日本はこれからも平和発展の道を前進することを望んでおり、そうなると信じ、評価している。」と回答したそうです。
「これからも」ですからこれまでもそういう道をたどってきたと、間接的に(婉曲に)認めていることになります。まあ、大人の対応でしょう。
ところが、北朝鮮労働党の機関紙、労働新聞がこう書いたそうです。
平和国家建設を志向してきたなら、まず過去の犯罪行為を謝罪し、補償措置をとるべきだった。
これは、「反省しているなら、形で表し、罰を受けるべきである、罰を逃れようとするようでは、本当には反省していないのだ。」こういう感覚に近いのではないでしょうか?
反省、謝罪、罰を受けること(賠償)は、ワンセットということでしょう。反省と謝罪と未来志向の関係作りがワンセットとするものとは感覚が違います。
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