反省

韓国の人気ドラマ、チャングムを見て単純に楽しんできました。脚本もいいし、女優さんたちの演技もなかなかのもので、毎週見てきました。

ところが、このドラマが終盤になってきて、単純に楽しんでいられなくなってきました。韓国人と日本人の考え方の大きな差が見えてきてしまったのだ。単純に楽しめなく、何となく落ち着かないのです。リラックスできません。

ご覧になっていない方のために、ちょっと、説明しておくと・・・・・

以下、ネタバレですので、ご注意下さい。

これは、朝鮮の李王朝の宮廷に二代に渡り女官として仕えた二つの家系の対立を一つの軸とした物語です。他にも軸があって、物語に厚みを加えています。

最初は、主人公であるチャングムの母と若き日のチェ女官長の対立です。チェ女官長は宮廷で食事を作る立場にあったのですが、王族の一人に毒を盛り暗殺した。それをチャングムの母に見られて、チャングムの母を陥れ、後宮の掟を破ったとして、殺そうとします。危うく死を免れたチャングムの母は逃れてチャングムを生むのです。

チャングムの母はその後、殺されてしまいます。チャングムは長じて過去の経緯を知らないまま、家系を偽って宮廷の女官となりチェ女官長の姪クミョンと仲良くなります。

しかし、あるとき過去の秘密を知り、一方、チェ女官長に家系を知られてしまいます。

チェ女官長は、再び陰謀をめぐらしチャングムを陥れ、奴婢の身分に落としてしまいます。しかし、やがてチャングムは反撃しはじめ、徐々にチェ女官長クミョンを追い詰めていきます。

そして、チャングムクミョンに、「心で反省しているなら、形に示せ」と迫るのです。

ここでは、少し違和感を抱いたのですが、その違和感がもっとはっきりした場面が出てきました。

チャングムに追い詰められたチェ女官長は、チャングムの母の墓の前で謝り、許しを乞います。真剣な謝罪と私には受け取れたのですが、それに対するチャングムの反応に意表を突かれました。チャングムはチェ女官長に、役所へ行って罪を自白することを要求するのです。自白すれば、死罪はほぼ確実ですし、良くても奴婢にされるでしょう。

しかし、チャングムは、こう主張するのです。

本当に反省しているなら、謝罪せよ。これは分かります。

本当に反省しているなら、二度と同じことをするな。これも分かります。

本当に反省しているなら、罪を自白し、罰を受けよ。そうすれば許そう。

チェ女官長は、それでは許してもらったことにはならないと考え、役所へ行って罪を自白することを拒否します。

そして、・・・。

さて、このドラマではチャングムは、主人公で、チェ女官長は悪役です。つまり、韓国人の主流派というかあるべき行動はチャングムが代表していると考えて良いでしょう。

すると、私も含め日本人の考える反省と許しの感覚はチャングムとは違うようです。むしろ、チェ女官長に近い。

誤るときのもっとも普通の言葉は、ごめんなさいです。これに違和感を持つ日本人はいないでしょう。自分でも、一度は使ったことがあるはずです。これを漢字で書けば御免なさいです。つまり悪いことしました。謝りますから、罰を免除してくださいということです。罰の免除を乞う言葉を、謝罪の言葉として使っています。そして、ごめんなさいと謝ってきたら許してあげ、罰を与えないというのが日本的な発想でしょう。

でも、反省しているなら、形で表し、罰を受けるべきである、罰を逃れようとするようでは、本当には反省していないのだ。こういう感覚ものかたがたもいるのです。どちらが正しいとか、間違っているとかいうことではありません。微妙な差があるのです。

感覚の差は簡単には埋められません。言葉の行き違いがないように注意深く振る舞わなければならないなと思うのです。

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