生きるべきか死ぬべきか

鬼神は敬して」では、論語でしたが、今度はシェイクスピアです。 シェイクスピアの4大悲劇といえば、ハムレットロミオとジュリエット、オセロー、リア王マクベスです。 良い台詞がたくさんありますが、もっとも有名なものを一つだけ、ということになれば、ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」でしょう。私は史劇でもあるマクベスの「明日、明日、そしてまた明日」も好きなのですけれども。 それはさておき、ハムレットが日本では一番人気があり、親しまれているのではないでしょうか?私は、それは、この悲劇の根底にある死生観が日本人には理解しやすいからではないかと思っています。 ハムレットの見方は色々あります。一つの単純な見方として怨霊の物語と受け止めることも可能です。日本人には怨霊というのは、実に分かりやすい。 父王は、弟に毒殺され、妻も奪われる。最後の懺悔をする暇もなく死んでしまったので、地獄には行かなかったものの煉獄で苦しみを味わうことになります。(煉獄と言うのは、天国、地獄ほどにはなじみがありませんが、そこで苦しみを受けます。その苦しみが罪に対する罰になり、罰を受け終わると天国にいけるのです。)そして、この世にかりそめの姿を現し、息子であるハムレットに復讐を求めるのです。 これは、日本人の感覚から言えば、恨みを残して死んで、成仏できないでいる怨霊と受け取られるでしょう。父王の霊が、超自然的な力を持ち、生きている人間の世界、この世に影響を与え、この世の人間に語りかけるのも怨霊と捉えれば、何の違和感もありません。 さて、怨霊となった父王の頼みを引き受けたハムレットのその後の成り行きは、ご存知のとおりです。確かに、仇である叔父王は殺せました。復讐は成し遂げられたのです。しかし、ハムレットも愛する母、ガートルードも死んでしまいます。また、ハムレットは最愛の恋人オフィーリアを死に追いやってしまい、オフィーリアの父、ボローニアス、兄、レイティアーズも殺してしまいます。ハムレットの一族は皆死に、家は絶えてしまうのです。近代化以前の日本人の意識から言えば、怨霊の祟り、あるいは怨霊に魅入られたが為の悲劇です。 さて、日本にも強い恨みを残して死んだ人間は数多く、祟りが信じられてきました。そして、祟りをどうやって防ぐかは大きな問題でした。政治的な理由で殺されたものの恨みが公に向けられたときへの対処の方法が、恨みを残して死んだものの霊を神として祭るというものでした。早良親王崇道天皇)、井上内親王他戸親王を祭る上御霊神社伊予親王を祭る下御霊神社菅原道真を祭る天神社などです。明治元年に讃岐に流され、その地で亡くなられた崇徳天皇を祀る白峰宮が作られています。明治6年には淡路に流されやはりそこで亡くなられた淳仁天皇もこの神社に祀られています。祭りを行うことによって、祟りを避け、その怒りを徐々に鎮めていく、これが正しい対処方法と考えられていたのです。 さて、話が飛んでしまいますが、現在の日本では、政教分離は基本的な原則です。政府は世俗のことだけを取り扱う国家です。これは近代化と評価すべきでしょう。反面、この近代化によって、政治に関連して命を失ったものの恨みに対処する方法を失ってしまったのです。政教分離の下で死者にどう対応するかが、国家に残された課題となるのが近代国家の宿命でしょう。死者への畏怖を誰もが持たなくなることによって解決できるかもしれませんが。 2006年9月2日追記 リア王を追加し、マクベスを削除しました。また、史劇という言葉も追加しました。 再び修正 ロミオとジュリエットを削り、マクベスを復活させました。   人気blogランキングでは「社会科学」の32位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング