雇用保護 その4
「雇用保護 その3」の続きです。
解雇や、整理解雇に対して規制がかかっていることの意味を考えてみたいと思います。
話が、一見すると何の関係もなさそうな方向へ進みますが、しばらくおつきあい下さい。
皆さん、「囚人のジレンマ」という話をご存じでしょうか。ミクロ経済学、ゲームの理論では有名な話です。
インターネットで検索すると、いろいろな説明がでてきます。
http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Jouhou/95/Takahasi/prisoner.html
http://stardustcrown.com/reading/prisoners-dilemma.html
この話は、いろいろな読み方ができるのでしょうが、当面、「二人が信頼しあい、協力しあえばお互いにとっていい結果が得られるのに、信頼できず、協力が成立しないと、互いが望ましくない結果に陥ってしまう。」ということを示すものと受け止めてください。
「このような結果を回避するためにはどうしたらいいか?」というのが大きなテーマとなります。互いに信頼しあえばいいという解決策はなしです。
一つの解決策はこうです。
1 二人の囚人の上に大親分がいます。
2 大親分は、裏切り者を許しません。裏切って出所してきた囚人に徹底的な制裁、コンクリート付けにして東京湾に沈めるなど、を加えます。
3 二人の囚人は、それを知っています。
すると、囚人は自分が裏切って、早く出所しても意味がないので裏切りません。また、相手も裏切らないと確信できます。二人とも裏切りませんから、互いにいい結果を得られます。恐ろしい大親分は、実は囚人にとって福の神なのです。多分二人は、協調によって得た利益の一部を親分に上納する、あるいは、お賽銭を差し上げるでしょう。
このシステムで重要なのは、二人の囚人の間に信頼関係が成立していないのに、互いに相手を裏切らなくなるということです。
さて、このようなシステムが自然に成立する必然性はありません。しかし、一旦成立すると、これを壊す誘因はありません。できてしまえばシステムは安定するのです。そして、ある程度の費用で済むなら、このシステムに加入しようとするものが現れます。
歴史上、これに似た例があります。鎌倉幕府です。
坂東の武士達は、武力では都の貴族を凌いでいましたが、都からの分割統治もあり、また本来の性格から入っても、お互いに協力しあえなかったため、年貢を送ったり、都で貴族達に奉仕したり(さぶらう、侍の語源です。)しなければなりませんでした。都へ行くのは自分で費用を負担しなければなりませんし、行って奉仕しても官位というような名誉はともかく、物質的な報酬はありません。
頼朝が反乱を起こし、ある程度力を持つようになると、頼朝に従った、あるいは頼朝を擁立した武士達は、年貢を送ったり、都へ行って奉仕する必要がなくなりました。すると、他の武士も次々と頼朝の傘下に馳せ参じ、これが鎌倉幕府の基礎となっていったのです。当然、頼朝に対して奉仕をしなければならないのですが、年貢を送ったり、都での奉仕をするより、遙かに負担は少なかったのです。
余談ですが、頼朝の始めた武家政治のあるなしが中国や、韓国・朝鮮の歴史との大きな差だそうです。
元へ戻りまして、頼朝の作ったシステムが武士達にとって有利なものであったために、源氏の嫡流が三代で途絶えても、武士達はこのシステムを継続したのです。
頼朝が作ったこのシステムは、朝廷によって公認されたものではなく、私的な武力によって支えられた何の正統性もないものでした。頼朝は、先の例で言えば大親分に当たるのです。武力の大きさ、勢力圏の広さから言えば、鎌倉に本拠を置く広域暴力団、「源組」の初代組長といった立場だと考えるといいと思います。
さて、次回は、今日の話を元に雇用保護の意義を考えようと思っています。
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