「ニート」のミクロ経済学 その1

bewaadさんが、「『ニート』を騒ぐ連中は隗より始めよ」(http://bewaad.com/20050527.html#c12)でミクロ対策派に対する痛快な批判をされています。ミクロ対策より何より、まず第一に、労働需要を増やす政策を採るべきだというのがbewaadさんのご主張、ご提言です。

この対策の問題については、「ニートは救われるか?」で書いたことがあるのですが、私は、bewaadさんのご主張、ご提言には半分賛成です。

ということは半分は賛成しないということなのですが、その理由は二つあります。

まず、需要を増やすような政策を取れば効果が出ることは確かです。しかし、今の若年無業者ニート以外の失業者、配偶者いる無業者も含みます。)は数が多くなりすぎています。彼らの失業を解消するには、相当な需要増が必要で、現実には、そこまでの措置は取れないのだろうと思われます。私の目には、政府にその覚悟はないというように映っています。

実は、若年無業者が大量に発生しているいう現実を見たくない、このとんでもない問題から目をそらしておきたい、(自分たちではなく)若年無業者本人達に責任があるのであって欲しい、構造改革を進めていけば、いつかは何とかなるという夢を見ていたい、夢にすがっていたいということなのかもしれません。もしそうなら、一部のニートと同じことなので、将に「隗より始め」てもらわないといけないのですが。

さらに言えば、若年無業者がどうなろうがどうでもいい、世間が騒ぐから、一見効果ありげな金のかからない対策をやっておこうと思っているのかもしれません。

この理由は、政策を実行できるか、実行する気があるかという問題で、政策の有効性問題ではありません。つまり、bewaadさんの経済的な分析、純粋に考えたときの処方箋として本質的な問題があるということを言っている訳ではありません。次の理由は有効性そのものの問題です。

第二の理由は、「若年無業者の一部は、ミクロ経済学が想定しているような経済人ではない。つまり、情報が与えられれば、速やかに、合理的な意志決定をするとは限らない、する能力を持っているとは限らない。」というものです。

伝統的なミクロ経済学労働経済学では、次のようなことを自明の前提としてきたように思います。(100%の自信を持っているとは言えません。間違っていたらご指摘下さい。)

1 個人は完備性のある選好を持っている。

2 個人の選好は推移律を満たす。

3 個人は自分の選好を知っている。

4 選好は、ある程度の期間は安定している。

5 選好に基づき決定を行うことは、個人にとってなんら負担ではない。

6 個人は、選好に基づき速やかに決定を行う(行える)。

7 個人は自分の労働能力を知っている。

これらの条件を満たさないと、意志決定ができません。そしてこのような条件を満たしていないために無業である若者、あるいは中年一歩手前のプレ中年、若手中年がいるとすれば、ある程度需要が増えても、無業という状態は変わらないでしょう。

(つづく)

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