同一労働同一賃金のアイロニー その1

「「ボーナス」と「正社員」の意味」について」に,シーラカンスさんからいいコメントをいただきました。いろいろな論点を含んでいて、短い回答ができないので、記事にします。

まず、コメントを引用させていただきます。

「就業上の差別を最大公約数の人たちが「納得するように」しないと、いや~な雰囲気の社会・企業になってしまいそうで難しい部分だと思います。ちょっと、賃金の差が大きすぎるんじゃないかなーと思っているのですけど…違いますか?日本は逆に賃金差別が少ない国なのかなあ。

正社員になれない立場の若者が増えすぎて、彼らは結婚もしにくいし出産もためらうところでしょうから…。私の考えはどうも「少子化」 に舞い戻ってきてしまいますね」

シーラカンスさんが問題にされているのは、正社員とパートタイム労働者や派遣労働者などの非正規社員の賃金格差が、不合理だ、あるいは差が大きすぎるということでしょう。

もう一つは、そのような差に労働者が納得していないと賃金の安い労働者に不満が高まり、そのこと自体労働者を不幸せにするし、社会的な緊張も高まるのではないかということだろうと思います。

最後は、若者が低賃金の労働者にしかなれないと、少子化が加速されるのではにか、ということだろうと思います。

私の誤解かもしれませんが、「これらの問題を「同一賃金同一労働」の原則を貫徹することにより解決できるのではないか。」と多くの方々が思われているようです。

やや誇張した表現になりますが、企業が正社員について仕事によって賃金を決める(仕事給などという表現をします。)、ではなく、どのような労働者であるかによって賃金を決める(属人給などといいます。)と「同一労働同一賃金」ではなく、「同一労働者同一賃金」が成立します。

性、年齢、学歴、企業規模、ホワイトカラーであるかブルーカラーであるかによって大きな賃金格差があるのが、戦前から昭和40年代、50年代までの日本の姿でした。

このような格差をみんなが納得していたわけではありません。女性には不満があったと思います。中小企業の労働者にもありました。そして低学歴の労働者、特に学力がないために進学できなかったのではなく、家にお金がないために進学できなかった労働者には強い不満があったはずです。

しかし、高度成長の中では、その不満は「明日はもっと豊かになれる。」、「自分の子供はもっと高い学歴を持てる。」、「専業主婦になって豊かな生活が送れる。」、「自分も勤め続けられるだろうし、勤め続ければ給料も高くなる。」といった、希望、期待を持てました。また、このような希望、期待はかなり実現していたのです。これによって格差があっても、納得がいかなくても、不満はかなりの程度、解消されていたのでしょう。

そのような夢、希望が消えた今、不満が高まるのは当然でしょう。賃金の格差事態はなくせないにせよ、納得性を高める必要は高くなっていると思います。

長くなりそうなので、今日はここまでにしておきます。

人気blogランキング

↑クリックお願いします。