D国の踏み倒し

D国の怒り、G国の不満」の前にあったかもしれないこと。

その昔、ある大陸の西側で多くの国を巻き込んだ、あるいは多くの国が好き好んで自ら巻き込まれていった大戦争があった。E国もF国もD国もR国もこの戦争は短期間で終わると思っていたらしいのだが、決着がつかず長く続き、この大陸の諸国は疲弊していった。R国に至っては革命が起こって体制が変わってしまった。最後には海のかなたのU国がE国、F国の側につき、大軍を送り込んだことでD国の敗戦という結果になった。

この戦争の間、E国とF国は戦費の捻出に苦しみ、それまで蓄えてきた財産を売り払った挙句、U国から大金を借りてしまった。

戦争が終わると、E国とF国はD国から賠償金を取り立て、それでもってU国への返済と国民への補償に当てようとした。長く続いた戦争であり、戦費は莫大だった。国民の負担も大きく、政治家は国民に保障をしなければならなかった。したがってD国に要求した賠償金は天文学的な数字になった。しかも、これはD国の通貨ではなく、ある特殊な金属を変えるだけの通貨、領土、船舶で支払うことになった。D国がこの金属を産出する国であればまだましだったのだが、D国にはこの金属の鉱山はなかった。

戦争で疲弊し、敗戦の結果領土や船を失ったD国には支払うべき金がない。金を稼げる産業もない。実際滞納した。怒ったF国が、D国の重要な鉱工業地帯を占領し、自ら企業を運営して製品を持ち帰るという挙に出て、怒ったD国の労働者がストライキを打ち、当然、生産は落ち、D国の不況は深刻化し、失業者が街にあふれた。こんな一幕もあったのだが、結局、U国から借りて、E国、F国に支払うことになった。E国、F国は、受け取った賠償金でU国に借りた金を返していったので、この面では、お金はうまく回っていた。D国の賠償金+U国への借金の総額は変わらなかったけれど。働けど働けど借金は減らない哀れなD国。働く職場すらないD国の労働者。

問題は貿易だった。戦争で疲弊した、E国は生産能力が落ち、U国との貿易で赤字を出し続けた。不足分は特殊な金属をU国に引き渡すことで決済されていった。本来ならば、U国は特殊な金属が流入した分だけ自国の通貨を増発するはずだった。そうすればU国の物価は上がり、E国、F国、D国の企業は競争上有利になって、U国への輸出を増やせ、貿易収支は均衡に向かうと考えられていた。

ところが、U国は物価の上昇を嫌って、特殊な金属の手持ちが増えても通貨を増発しないという方針をとった。U国の物価は上がらない。E国、F国、D国の輸出は増えない。そして。、特殊な金属の手持ちが減ったE国は、通貨を減らさざるを得ない。各国は不況に陥った。

さて、なぜかU国で大不況が起こり、E国、F国、D国にも不況は伝播した。悪いことにU国はD国に金を貸すのをやめてしまった。D国は賠償金を払えなくなった。

いつの間にかD国では極右と極左の政党が幅を利かすようになっていた。対立は激しかったが、どちらもE国、F国を敵視する点では共通していた。暴力を用いて、しかし、合法的な選挙で政権を掌握した極右政党は、極左政党を弾圧するとともに、議会を機能停止に追い込み、独裁体制を確立した。その上で軍備を整え、F国に攻め入った。E国はF国に味方したが、F国はあっけなく敗れてしまった。それでもE国はD国と闘い続けた。そして最終的にU国が再度E国側で参戦し、D国を打ち破った。

E国、F国は二度目の戦争の後、D国から賠償を取り立てられたか?できた、というか今も受け取りつつあるらしい。ただし、賠償金は元の額の2%程度にまで減額された。

教訓 その1:返そうにも返せない借金を背負った国に他の国が無理やり借金を返すように強制しても、その国の経済が混乱し、返済を迫る国への反感が募り、極右、極左の政党が台頭し、議会制民主主義が危うくなるだけで、貸した金は返ってこない。幾分なりとも返してほしければ、その国の経済がうまくいくように配慮するほかはない。

教訓 その2:経済強国は自由に振る舞える。しかし、賢明に振る舞わなければならない。思慮なく振る舞えば、まわりまわって自分も傷つくことになる。

教訓 その3:自分にされた仕打ちを他人にしていることに、人間は気づかない。

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