デフレは良くないと専門家が考えている理由

消費者物価指数  22年4月」で、物価指数の計算の解説をしました。今回は経済学の理論的な話をしたいと思います。

デフレを物価の下落という意味で使うと、物価が下がれば生活費が下がって、暮らしやすくなるのだから、そう悪くはないと感じている人も多いだろう。逆に、生産に携わる立場から、自分の企業が生産する製品の価格が下がり続けるのは困るという意見もあるだろう。経済分析に携わる専門家の間では、デフレ予想が社会全体に広がった状態はよくないという考えが一般的である。なぜ、専門家の間では、このように考えられているのか、この解説では多くの専門家が共有している基本的な考え方を読者に紹介したい。

1 経済の基礎としての消費

現在の経済分析では、個人 は消費から得られる満足 を多くするために経済活動を行っていると考えている。そして、政府にとっては、この個人の満足を上げることが経済政策の基本的な目標であると考えられている。

この個人が消費から得る満足は、次の性質を持つことが想定されている。

消費が多いほど消費から得られる満足は高くなる。

消費が増えるにつれ、消費が同じ量だけ増えたときの満足の増え方は小さくなる。

同じ量の消費を行うのであれば、現在消費する方が将来消費するより、現在の満足度は高い。これは時間選好と呼ばれる現象である。

 表1は、①、②の性質を示したものである。比較的受け入れやすい仮定であろう。

表1

消費の量 消費から得られる満足

1 40

2 56

3 70

4 82

5 92

6 100

7 106

8 110

9 112

10 113

表2は、③の性質を表したものである。第2欄では、どの時期でも同じ量の消費をしていることを前提としている。第3欄は今年100の消費から得られる満足と同じ満足を得るために必要な将来の消費量を表したものである。これについて理解を得るために、少し回り道をして割引現在価値という概念を説明しておきたい。

表2

消費の時期 100単位の消費から得られる満足の現在の評価 今年の消費と同じ価値を持つ消費の量

今年 100 100

来年 95 105

2年後 90 111

3年後 86 116

4年後 81 123

5年後 77 130

6年後 74 135

7年後 70 143

2 現在割引価値

 まず、お金の話から始めよう。今日の10万円もらえるのと1年後に10万円もらえるのではどちらが望ましいだろうか?普通は今日10万円もらえる方がいいだろう。もし、今日の10万円をあきらめれば、1年後にいくらかもらえるというのであれば、1年後に10万円にいくらか追加してされていないと、と考えるのは普通であろう。銀行預金の利子が低ければ預金をする意欲が小さくなり、高ければ預金をする意欲が高まる。通常、短期の国債に比べて長期の国債の利子は高い。これは、同じものが手に入るなら、現在手に入るときに比べて、将来手に入る場合の方が、現時点で感じられる価値が低いという感覚を背景にしている。今日の1円と1年後の1+α円が、今日、同じ価値を持っているとき、αを割引率と呼ぶ。

 この割引率を使って1年後の金が現在持つ価値を計算することができる。割引率が5%だとすれば、来年の105,000円であれば、105,000円÷1.05=100,000円が現在の価値である。1年後の105,000円は現在の価値に引きなおせば、100,000円に当たることである。これを、1年後の105,000円の割引現在価値は100,000円であると表現する。

 この割引現在価値を用いることによって、今日の10万円、1年後の103,000円万円、2年後の108,000円の価値を比較することができる。さらに、現在の100,000円と来年の108,000円を合わせたものと現在の103,000円と来年の105,000円を合わせたものの割引現在価値も知ることができ、これを基準として両者の比較もできる。

 この割引現在価値の概念は、消費から得られる満足にも適用することができる。この場合の割引率は、時間選好率と呼ばれる。表2の例では、7年後消費して、今年の100の消費から得られる現在の満足と同じ満足を得るためには、消費の量は143必要である。この消費から得られる満足の割引現在価値は100である。

3 消費の計画

個人は各年 にどれだけ消費するかの計画を立てる。働いている世代は、将来のことを考えて貯蓄することが多い。子育てをしていれば、学校への支払、住宅を買うための頭金の積立、老後への備えなどを考えるのが普通だろう。実際に老いれば、預金を取り崩して消費することになる。これを現在と将来の消費の計画を立てていると考えることができる。

現在の主流派の経済学では、この計画を立てるとき、個人が目指すのは、現在、将来の消費から得られる満足の割引現在価値を最大にすることであると仮定されている。

 消費計画を立てるときには所得を考え、その範囲内で実行可能なものにしなければならない。ここでは簡単にするために、消費計画の期間は今期、次期の二つだけであるとし、各期の所得は決まっており、預金をした場合の利子率も決まっているとする。

今期については次の条件を満たさなければならない。

今期の所得=今期の消費+今期の貯蓄

次期については、次期の所得のほかに今期の貯蓄の元利合計も使うことができるので、次の条件となる。

次期の所得+現在の貯蓄の元利合計=次期の消費

ここで、今期の貯蓄の元利合計がどれだけであるかを考えると、

今期の貯蓄の元利合計=今期の貯蓄×(1+実質利子率)

である。この式では、物価の変動の影響を取り除くために、実質利子率を考えている。

これらをまとめると、次の式になる。

次期の所得+(今期の所得-今期の消費)×(1+実質利子率)=次期の消費

このような制約 のもとで今期、次期の消費から得られる満足の割引現在価値を最大にするためには、次の条件 を満たさなければならないことが証明されている 。

(1+実質利子率)/(1+時間割引率)×次期の消費を1単位増やした時に増える次期の満足/今期の消費を1単位増やした時に増える今期の満足=1

時間選好により来期の消費の満足の割引現在価値は今期の消費のものより小さい。それならば、できるだけ現在の消費を増やした方がいいとなるが、現在の消費を増やさず、貯蓄すると利子がつき、将来の消費の量は現在よりも増える。それによって将来の消費の満足度も高まる。上の式は、このように時間選好と利子率のバランスを考えながら消費の計画を立てる際の基準を表している。

4 時間選好率と実質利子率、実質収益率の一致

経済が安定するためには、現在と将来の消費の水準が一定とならなければならない 。このとき、1で述べた消費の性質②から、今期の消費を1単位増やした場合も、次期の消費を1単位増やした場合も増えるその時期の満足度に差はない。上の式から分かるとおり、このとき、消費から得られる満足の割引現在価値が最大化されているためには、1+時間割引率=1+実質利子率、つまり、

時間割引率=実質利子率

となっている必要がある。

ここで実物への投資についても考えておこう。個人でも、預金をする代わりに実物に投資し、その収益を消費に充てることができる。現実には個人が企業に出資し、企業が投資し、その収益を個人に返すと考えればよい。企業は個人にある程度の収益率を提供しなければ、資金を獲得できない。個人の立場に立てば、そのような投資をする際に最適な条件は預金の場合と変わらない 。つまり、

時間割引率=実質収益率

である。

ここで、名目金利と実質金利の関係について確認しておこう。これまでの説明から分かるとおり、実質利子率とは、一定の期間預金に元利合計の購買力が元金の購買力に比べてどれだけ増えるかを示すものである。すると、これは、名目金利から物価の上昇率、つまりインフレ率を差し引いたものだということである。

実質利子率=名目利子率-インフレ率

例えば、名目利子率が3%でインフレ率が2%であれば実質利子率は1%である。

 名目収益率と実質収益率の間にも同じ関係が成立する。

 実質収益率=名目収益率-インフレ率

 元に戻って、時間割引率が実質利子率に等しいという条件が政府が介入しなくても成り立つのかを考えてみよう。これは、個人の自由な選択によって、比較的容易に達成されそうである。もし、実質利子率が時間選好率を上回っていれば、個人は預金を増やしていく。すると、預金がどんどん集まるので、銀行は名目利子率を下げるだろう。インフレ率が安定していれば、名目利子率が下がれば実質利子率は下がる。この動きは、実質利子率が時間選好率の水準に下がるまで続く。逆に、時間割引率よりも実質利子率が低ければ、個人は預金を引き出して、消費をする方が有利なので、そうする。銀行は必要な預金を確保するために名目金利を引き上げるだろう。やはり、インフレ率が安定していれば、名目金利が上がれば実質金利も上がる。この動きも、実質利子率が時間選好率に一致するまで続きく。最終的には、時間選好率と実質金利の一致は個人の行動によって達成される。

 実物投資の場合も同じように考えることができる。もし、今、時間割引率よりも高い実質収益率をもたらすプロジェクトがあったとしよう。個人にとっては、現在の消費を止めて、このプロジェクトに投資し、一定の期間たったところで元金を回収し、収益も得て、その時点で消費をする方が望ましい。このような投資機会があれば、積極的に投資が行われる。投資機会が豊富で、実質収益率の高いプロジェクトが複数あれば、実質収益率の高いものから投資が行われる。投資が増えるにつれて、高い実質収益率をもたらすプロジェクトは減っていく。そして時間割引率よりも高い実質収益率のプロジェクトがなくなった時点で、消費から投資への切り替えは終わる。逆に、実質収益率が時間割引率よりも低ければ、そのようなプロジェクトからは資金が引き揚げられる。この動きは、そのようなプロジェクトがなくなるまで続く。時間選好率と実質収益率の一致も個人の行動によって達成されるのである。

 

4 インフレと中央銀行の行動

 中央銀行の取るべき行動、金融政策の役割を考えよう。これまで見てきたとおり、経済を安定させ、個人にとって最も望ましい消費計画を実現するためには、実質利子率、実質収益率と時間選好率の一致が必要であり、これは「インフレ率が安定していれば」、個人の行動を通じて達成されそうである。この条件を満たすことが中央銀行に求められるのである。

先の式から

インフレ率=名目利子率-実質利子率

である。インフレ率を安定させるには、基本的には名目利子率を安定させればよい。したがって、名目金利をコントロールすることを通じてインフレ率を安定させるのが金融政策の目的であると考えられている 。一般的には、中央銀行が適切に金融政策を実施すれば、名目利子率をコントロールすることができるとか考えられており、結果的にはインフレ率の安定も達成可能な目標であると考えられている。

5 デフレの問題

以上のようにインフレに対しては、金融政策で対応できると考えられている。問題はデフレが起こっている場合である。時間選好率が2%で、デフレ率が3%であるとき、経済を安定させ、個人の消費から得られる満足の割引現在価値を最大化するために必要な名目利子率は-1%である。中央銀行といえども名目利子率をマイナスにすることはできない。名目利子率がマイナスになれば、個人や企業は預金をする代わりに現金を持っておく方が得であるので、誰も預金をしなくなってしまう。預金の金利がマイナスになることは原則としてないのである。

このとき、名目金利を必要なだけ下げることができないのだから、

 名目利子率-インフレ率=実質利子率>時間選好率

となっているのである。この場合、個人は今期の消費を減らして預金をし、次期の消費を増やした方がいいことになる。

 確認しておこう。 最適な消費計画の条件は、

(1+実質利子率)/(1+時間割引率)×次期の消費を1単位増やした時に増える満足/今期の消費を1単位増やした時に増える満足=1

であった。したがって、実質利子率>時間選好率であれば、個人は、次期の消費を1単位増やした時に増える満足が今期の消費を1単位増やした時に増える満足よりも小さくなるようにするのが望ましい。このためには、1で述べた消費の性質②から、現在の消費を減らし、次期の消費を増やすようにすることになる。消費の繰り延べが個人にとって正しい選択なのである 。望ましいのは、実質利子率が時間選好率に等しいときに行われる消費であるのに、消費がそれ以下にとどまることになる。

 さらに、実質利子率が高まるのであれば、これより実質収益率が低い実物投資を行うよりも預金をする方が有利になる。実質金利よりも実質収益率の低い投資プロジェクトは実行されなくなる。本来は、時間選好率よりも実質収益率の高いプロジェクトは実行されるべきであるのに、これらのプロジェクトも実施されなくなる。

 このように、本来望ましい消費水準、投資水準が達成されなくなってしまうのが、デフレの問題である。また、消費も投資も同時に減れば、生産の縮小、雇用の減少が発生し、不況に陥る恐れもある。

これらの問題はデフレ率が時間選好率を上回る限り続くことになる。

 

6 デフレ予想からの脱却

議論をもう少し正確にするためには、予想の問題を取り入れなければならない。ここまでは、議論を簡単化するために、インフレ率、デフレ率をあらかじめ分かっているものとして取り扱ってきた。現実には、個人が消費や投資の決定を行う場合に、インフレ率、デフレ率は確定していないので、インフレ率、デフレ率がどれぐらいになるかを予想して、意思決定をしているのである。したがって、デフレが生じると多くの個人が考える場合には、消費や実物投資に向けられるべき資金が預金に流れてしまい、望ましい消費や実物投資が行われなくなる。また、不況が発生する恐れも出てくる。これが、経済を分析する専門家が、デフレ予想が社会全体に広がることは好ましくないと考えている主な理由である。

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