子ども手当の本質的な政策目的

混迷するギリシャ問題」のコメント欄で厭債害債さんが、次のように書かれていますので、私の考えを。 ワタクシが考える子供手当ての最大の問題は「誰のために、どういう将来の効果を期待して」行う施策なのかよくわからないということです。必ずしも税収が増えなきゃだめとは言いませんが、少なくとも将来どういう効果があるのか?と言う点に対してワタクシはまだ納得できる説明を受けたことがないのです。貧困救済なのかどうかもよくわからず、外国も国内も一緒くたで、なんだか予算に無理やり間に合わせるために拙速に行われたような施策だから、多くの人が???と思ってしまう。おそらく経済対策としては効果があるでしょう。お金をばら撒いているのだから。 子ども手当の本質的な目的は、子どもを育てている家庭の経済的厚生を絶対的にも相対的にも高めることです。 なぜそれが必要かと言うと、公平のためです。 昔は、子供が小さい時は親が面倒を見る、そして親が年老いて働けなくなったら育ててもらった子が親の面倒をみるというシステムでした。 公的年金制度の導入により、このシステムの後半、おいた自分の親を子どもが扶養するという部分が崩れてしまいました。親の世代全員をこの世代全員で扶養するというシステムに変わったのです。 すると、子育て世代の二つのグループの関係が微妙なものになってしまいます。自分の子を育てているグループは現在、自分の子を育てるという負担をして、将来、自分の子を含む子の世代全員から扶養してもらう。子どものいないグループは子どもを育てる負担をせずに、将来、他人の子の世代全員から扶養してもらう。 子育てグループの経済的厚生は子育て費用分だけ低下しています。同じようの子の世代から扶養されるのに、こんな差がつくのは不公平です。 この不公平を正すのが、子供手当の本質的な役割です。 こんなシーンを想像してみてください。 子どもが電車の中で騒いでいる。男がその子の首根っこを押さえて怒鳴る。 「こらぁ。このガキの親父はどこにいる?」 子供泣き出す。父親が出てきて謝る。男は再び怒鳴る。 「この野郎。おめぇ親ならしっかりしつけろ。飯も食わせてやれ。着るもんも着せてやれ。ちゃんとしたところに住まわせてやれ。学校にも行かせろ。しつけもして、真人間に育てろ。それが親の責任ってもんだ。将来、俺様はこの餓鬼に養ってもらうんだからな。分かったか、責任持てよ。この馬鹿野郎。」 「なに。俺?俺様は子どもなんてひちめんどくさいのはごめんだね。ガキなんざぁまっぴらだ。昔から子どもは親が育てると決まってる。親の自己責任だよ。自己責任。分かったか。この大馬鹿野郎!」 この男の言い分には、私は納得できません。 人気blogランキングでは「社会科学」の30位でした。 ↓ここをクリック、お願いします。 人気blogランキング