専業主婦は、働いているものの仲間なんだろうか?
3号被保険者制度について、さらに考えてみました。
「3号被保険者制度は不公平か?」で書いたように、この制度が必要になるのは、
●働いていたときの所得格差より、老後の年金の格差を小さくする。
○二人合わせた所得が同じであった夫婦、つまり、夫婦二人合わせて支払った保険料が同じ
夫婦の年金額は、どの夫婦をとっても同じ。
という目的を両立させるためでした。
働いて、給料をもらって生活をしているグループの中でなぜ、●のよう仕組みが認められるのでしょうか?この仕組みを一種の保険ととらえて、損得勘定から説明できないことはありません。老後の貧困への保険です。でも、それなら、どんなグループでもこの仕組みを作ればいいはずです。
働いて、給料をもらって生活をしているグループだけでこの仕組みが作られているのはなぜでしょう?給料というお互いに共通のベースを保険料の基準にできるからでしょうか?そういう技術的なメリットがあるからかもしれません。
同時に、そこには働く者の連帯、助け合い、分かち合いといった、口にするといささか気恥しくなるような要素も働いているような気がします。稼ぎが少なかった仲間にも、老後は最低限度の年金を確保して、みじめすぎる生活を送らなくて済むようにしようというものの考え方です。
そういう目で3号被保険者制度をみると、こう考えることもできるかもしれません。働いている仲間の妻は、たとえ本人が働いていなくてもやっぱり仲間だ。もしそういう意識があれば、極端に給料が少ない、つまりゼロ、の場合にも最低限度の年金を、仲間同士で支払っている保険料から出してあげよう。専業主婦で給料ゼロの場合も同じだ。出してあげよう。
結局、この制度の判断の基準は、働いていない3号被保険者を仲間だと認めるかどうか、なのかもしれません。
あまり、確信を持って言い切る自信はないのですが。
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