義務教育費

すなはらさんが紹介されている地方分権改革推進委員会の「第21回会合」で義務教育費の国庫負担を巡って、おもしろいやりとりが行われています。

すなはらさんは、「国庫負担については,交付税は流用される可能性があるとか(高校と違って)無償の小中学校の場合は一定の財源を保証すべき,というこれまでの論点を基本的に繰り返しているところで,まあそれはわかるところなのですが…。やはり行政学的な課題として,総額裁量制が地方の裁量を十分に高める機能を持っているかどうかについて,ある程度実証的な蓄積がないとなんともいえない気がします。」というご意見です。

以下、議事要旨)(「ここ」から入れます。)の引用です。

「○〔委員〕(文部科学省は義務教育費の)国庫負担を使途が限定されない交付税措置に転換したら教育には支出されなくなるとの懸念を持っているようだが、教育を軽んじる首長は落選する。心配には及ばない。」

文部科学省一般財源が逼迫してくると、教育に注ぎ込みたくとも注ぎ込めない事態が生じるのではないかとの懸念を持つ。財政状況にかかわらず、一定の水準を保証する必要がある。

引用終わり。なお、〔〕()は平家が補いました。

一種のすれ違いがあるのではないかと。

地方自治との関係でいえば、国が重点的に果たすべき役割は、次の三つだと考えられています。

1 国際社会における国家としての存立に関わる事務

2 全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務

3 全国的な規模で若しくは全国的な視点に立って行わなければならない施策および事業の実施その他

義務教育はたぶん2に入るのでしょう。しかし、準則を定めても細かいところまで決まるわけではありません。そこで、義務教育費の国庫負担を交付税措置に転換したら、どこか変わった首長さんがいる市町村や財政難の市町村で義務教育がないがしろにされてしまうかもしれない。これが文部科学省の不安でしょう。

これに対して、委員側は楽観的で、「選挙があるから無茶をする首長なんか出てこないよ。」と答えている訳です。(注1)

しかし、無茶をする首長が出てこないとは限りません。例えば、小学生や中学生を持つ親があまりいなくてお年寄りが大勢いる、そんな過疎地を考えてみましょう。自由に使える財源があるなら義務教育よりも国民健康保険に回して、あるいは公立診療所の赤字解消に使って地域医療を維持しよう。こう考える住民が多数になることはあり得ます。義務教育をないがしろにしようという気持ちはなくても、背に腹は代えられないということはあり得ます。例えば、湯葉利子のように破綻してしまうと、自由に使える金があれば、国からお金が送られて来るのと同時に借金取りが押し寄せて持っていってしまうかもしれません。

では、そうなったとき文部科学省はどういう責任を負うのか?委員が答えるべきはこれです。

もしも、「もしそうなったら残念だが、それは地方自治でそうなったんだから、それで仕方ない。文部科学省には責任はない。」なら首尾一貫します。(注2)「その時は、責任を持って何とかしてくれ。」だと、必要な手段を奪った上で目標達成を求める訳で、いささか無理があります。

どっちなんでしょうか?

(注1)細かいことですが、これは二つの理解が可能です。

1 そんなことをすれば、落選してしまうことが分かっているから、誰も義務教育をないがしろにしたりしない。

2 そんなことをする首長は出てくるかもしれないが、そういう首長は次の選挙で落選する。

1だと義務教育に金をけちるという事態はそもそも発生しません。2だとそういう事態は発生しますが永続きはしません。

(注2)「足による投票」の信奉者なら、「そうなれば小学生や中学生を持つ親は、義務教育に力を入れる自治体へ引っ越す。従って、基本的には小学生、中学生が適切な義務教育を受けられないことはない。」と考えるでしょう。親に引っ越せない事情があったらどうなるかは脇に置いておくことにして。

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