ちょっと鎮め。

保守親父@労務屋さんが、「ちょっと煽り。」で、こんなことを書かれています。 年金記録の問題が世間を騒がせていて、おりからの参院選をひかえて政治の責任問題がかまびすしいですが、これは基本的に長年にわたる社会保険庁の職員の怠慢の問題でしょう(もちろん、だからただちに政治が免責されるということにはならないでしょうが)。 多くの共感を呼ぶ発言でしょう。ただ、私から見ると、この文の味噌は、わざわざ「基本的に」と、微妙な条件、留保をつけておいでであることです。さすがです。 実は、日本全国の社会保険事務を担当されてきた方々には、よく分かっていること、そしてマスコミでは、絶対に報道されないことですが、少なくとも、所謂宙に浮いた年金5,000万件の一部は、「長年にわたる社会保険庁の職員の怠慢」のせいにはできない部分があるのです。 厚生年金の場合には、ずっと昔から、一人一記号番号は大原則だったのです。本来なら、会社、事業所が変われば、本人が新しい勤め先に年金手を出して、会社がその手帳を基礎に被保険者資格を得る手続きをすることになっていた(今もそうですが)のです。 これを貫いていれば、少なくとも厚生年金の記号番号が二つも、三つもあるというようなことにはなりませんでした。年金記録が宙に浮くことはなかったのです。 しかし、会社に採用されたときに、年金手帳を出さなかったりすると、会社の担当者が、強く出すように言わないで、手続きをしてしまうということがかなりあったようです。そうすると、新しい年金番号が与えられ、年金は宙に浮いてしまいました。労務屋さんたちにも責任がないとはいえません。 「すべて悪いのは○○だ。」といった分かりやすい説明、事実の検証なしに通ってしまいがちです。特に、テレビは、視聴者である一般国民にも責任があるとは、絶対に言いませんし、最近は、新聞も多角的な視点から現実を捉えるというよりは、単純な説明に傾いているように見受けられます。マスコミには政府を厳しく批判し、国民の責任を指摘するときは甘いという体質があるのです。 現実の問題の本当の原因、それはたくさんあるかもしれません、を追求しないと、似た問題が また起こります。 今回の問題の教訓は、企業をベースにした社会保険制度は、まず、国がきちんと仕事をし、そして個人も企業もきちんと手続きをとらないと機能しないということです。 なお、基礎年金番号がつけられているのは、1997年にも生きていた方です。1996年以前になくなられた方には、基礎年金番号はありません。したがって、5,000万件の中の、1996年以前に亡くなられた方のものは、基礎年金には結ぶつくことはありません。本来、宙に浮いているべきなのです。 人気blogランキングでは「社会科学」の22位でした。↓ここをクリック、お願いします。 人気blogランキング