社会人のための『新しいマクロ経済学』解説 その8

社会人のための『新しいマクロ経済学』解説 その7」までの準備を基に、いよいよ、本論、「2 資産価格と資本蓄積」に入ります。 経済を構成する家計が予算制約の下で効用を最大化するというのが、ミクロ経済学の基本的な公理です。これをマクロ動学に導入し、マクロ動学にミクロ的な基礎付けを与える。これがミクロ的な基礎をもつマクロ動学の根本的な発想です。 このため、動学にあわせた効用関数を導入し、動学的な予算制約を設定しなければなりません。動学的な効用関数の説明が、「2.1 永遠に生き続ける代表的個人」で行われています。また、家計の収入は企業に提供した労働の対価である賃金と企業に提供した資本の対価である資本のレンタル料です。これらが予算制約となりますが、これを定めるために、まず、「2.2 生産関数と労働市場」で生産関数と労働市場の設定を行い、次に、「2.3 企業の行動」で企業が労働や資本をどのように需要するかを設定しています。ここでは、企業の行動原理として収益最大化が導入されています。さらに、企業が家計によって所有されているという経済の構造に関する仮定が置かれます。 これで効用関数と各期における予算制約が決まりますので、これらの条件のもとで家計の消費、貯蓄(投資)行動がどのようなものになるのかを、示すのが「2.4 家計の異時点間の資源配分」です。ここでは、オイラー方程式という形で家計の行動が示されます。「2.5 オイラー方程式の解釈」は、家計の行動がさらに詳しく説明されます。 「2.6 終点条件:横断条件と非ポンジー・ゲーム条件」では、家計の行動が合理的である場合に各期における予算制約を満たすだけではなく、さらに全期間を通じた予算制約が生じる子とが示されます。これによって、家計の行動がさらに限定されます。「2.7 資本市場の均衡と資本の蓄積経路」では、家計の行動資本供給と企業の資本需要が一致し、市場が均衡するための条件が示されます。これによって、家計の行動、企業の行動に基づき経済がどのように動いていくかというモデルが完結します。第2章の残りの部分はこのモデルで経済がどう動いていくかの分析です。 動学化されているので、なじみにくいモデルであるように思われるかもしれません。しかし、実はこのモデルの基礎には、供給関数、需要関数、市場均衡の三つで市場の動きが決まるという経済分析の伝統的、標準的ななじみの深い発想があります。 以上の説明から分かるように、この部分がミクロ的基礎付けのコアの部分です。ここが理解できれば、ミクロ的基礎付けのあるマクロ動学は8割理解できたといえます。肝心かなめの部分ですので、丁寧に解説していくつもりです。 今回は、「2.1 永遠に生き続ける代表的個人」の解説です。 動学ですから、テキストでは一時点の消費でその時点の効用が決まるという時間流れの要素を欠いた効用関数ではなく、消費の時間経路全体に依存する効用関数が用いられています。これについて考えてみます。また、これと密接に関連する代表的個人の時間選好率についても検討してみます。さらに、テキストにはないのですが、概念の混乱を避け、また、理解を深めるために、別の種類の時間選好率にも触れてみます。 1 消費経路に依存する効用関数 異なる時点で消費を行い、その消費全体から効用を得る場合の効用関数は、一般的には、次のように表すことが出来ます。 U=(C1、C2・・・・Cn) ここで、C1、C2・・・・Cnは第1期から第n期までの消費です。これを消費経路と呼ぶことにしましょう。nが無限大のケースが、永遠に生き続ける個人(infinitely-lived-consumers)または王朝(dynasty)の効用関数です。 この関数は、消費経路全体によって効用が決定されるということを示しています。注意していただきたいのですが、この関数では、あくまで消費が直接に効用を決定するという形になっています。 テキストでは、モデルを構築するために、この一般的な効用関数を特定化しています。具体的には(2.9)、(2.11)です。 この特定の仕方には、幾つか大きな特徴があります。 まず基本的な特徴は、各期の消費が効用を直接決定するのではなく、各期の消費がその期の効用を決定し、そのようにして決定された各期の効用が効用を決定することです。二段階の構成になっています。 なお、各期の「効用関数uは凹の増加関数(u'>0、u''<0)」であり、かつ、u'(0)=∞と仮定されています。 さらに、この各期の効用関数には、期(世代)が変わっても変化しないという特徴があります。このモデルでは、財の種類は一つだけなので、同じ消費量から得られる各期の効用には、年齢が上がっても、世代変化があっても変化がないと仮定していることになります。 次に、各期の効用が効用を決定するに際して、現時点から遠い期の効用が割り引かれていくことです。「第1世代が第2世代の効用を考慮するに際してある程度の割引(割引率はρ)を行っていると仮定している」(p)「ρ代表的個人の時間選好率と呼ばれている)は常に正の値をとると仮定する。」 この代表的個人の時間選好率は、どの期を割り引くときも変わらない定数であると仮定されています。現在の時点でそうであるだけで、時間がたつと変化する可能性は残されていますけれども。 最後の特徴として、ある期の効用が効用に及ぼす効果は、他の期の効用の水準がどのようなものであろうと一定であるということがあります。 例えば、U=u1+u2+u1×u2+・・・・・と言った形で定式化されていると、ある期の効用が効用に対して及ぼす効果は、他の期の効用の影響を受けます。このような事が起こる可能性がないとは言い切れません。 テキストの形の定式化は、ある期の効用を他の期の効用から分離するもので、その意味では特殊なものです。その分、数学的に扱いやすくなっています。 2 代表的個人の時間選好率 さて、代表的個人の時間選好率ρが正であることについて、少し考えてみましょう。 テキストの説明では、各期は「世代」と説明され、「利他的な関係(altruistic relation)で世代間が結びついている」「利他的な関係というのは、現在の世代が将来の世代の効用を考慮する場合を指している」とされています。 この「利他的」という言葉には、少し注意が必要です。 いま、二つの世代で考えてみましょう。 U=U(u(c1)、u(c2))  =u(c1)+u(c2)/(1+ρ) いま、ρ=0.5とする。つまり、次世代の効用は半分に割り引かれている。 このとき、現世代の効用が10、次世代の効用が10という組み合わせと、現世代の効用が15、次世代の効用が0という組合せは、無差別である。またも現世代の効用が16、次世代の効用が0なら、こちらの組み合わせが望ましいことになります。 もう少し一般化すると、もし、各期の効用の総量に制約があるなら、現世代の効用を最大にし、次世代以降の効用をゼロとすることが、もっとも望ましいのです。この場合、現世代の持つ手持ちの資産と、現世代の所得、さらに将来世代の所得が割り引いた上であっても利用可能なら、それも利用して、すべてを現世代が消費してしまうのが望ましいのです。 たとえ「現在の世代が将来の世代の効用を考慮したと」しても、代表的個人の時間選好率ρが正であることを前提にするとこういう結果になります。「現在の世代が将来の世代の効用考慮する」だけでは、日常語の意味で利他的になるとは限らず、場合によれば、日常的な感覚では、利己的な関係であるかもしれません。 将来世代の効用が割り引かれてしまうにもかかわらず、現実に現世代がすべてを消費してしまわないのは、次のようなメカニズムが働くからです。 所得・資産による制約は現実には効用にではなく消費にかかっている。後に説明されますが、ゼロ期初の資本と現在の所得と将来の所得を割り引いたものの合計を現在の消費と将来の消費を割り引いたものの合計は超えることが出来ない(2.23)。消費の総量に制約がかかっていると、各期の効用関数uが凹の増加関数(u'>0、u''<0)であるために、すべてを今期に消費しても効用はそれほど増加しません。次期以降に消費の一部を振り分けた場合、それによる今期の効用の低下を、代表的個人の時間選好率で割り引いた次期の効用の増加が上回れば、そちらのほうが望ましいのです。 次世代にその量はともかくとして、消費が繰り延べられる条件は次のようになります。 △c1×u'(c1)<(△c1×u'(0))÷(1+ρ) 先にu'(0)=∞と仮定していましたが、この仮定を考慮すると、上の条件はかならず満たされます。つまり、「この仮定は消費が負になる可能性をあらかじめ排除して」いるのです。なお、ゼロになる可能性も排除しているように思われるのですが、私の考え落としがあるのかもしれません。 現実に現世代がすべてを消費してしまわないもうひとつのメカニズムは、今期の消費を抑制すれば、それをプラスの利回りで運用し、将来の消費を増やせるということです。この利回りをrとすると、上の条件式は次のように修正されます。 △c1×u'(c1)<(△c1×(1+r)×u'(0))÷(1+ρ) 利回りが高いほど、割引率が小さいほど、そしてu'が大きいほど、繰り延べられる消費の額は大きくなります。なお、代表的個人の時間選好率と利回りが同じであると、二つの期の消費が等しいとき効用は最大となります。 このように、代表的個人の時間選好率が正であるということは、ある程度利己的な要素が含まれていることになります。これが負であれば、つまり現世代が自分の効用よりも次世代以降の効用を高く評価すれば、日常語の意味で利他的となる。自分の生活が苦しくても、次世代意向が楽になれば、自分の生活より子孫の生活のほうがよくなることが望ましいと思えば、日常語の意味で利他的になります。しかしこの場合、消費を無限に繰り延べつづけ、資本を蓄積しつづけることになり経済は定常状態に達しません。 さて、これまでは期を世代と考えてきた。これを一人の個人の若年期、高齢期と考えてみよう。そのとき、代表的個人の時間選好率ρが正であることは、どのように解すればいいのでしょうか? 先ほどの、ρ=0.5の場合を考えましょう。この場合には、高齢期の効用は半分に割り引かれます。若年期の効用が10、高齢期の効用が10という組み合わせと、若年期の効用が15、高齢期の効用が0という組合せは、無差別であり、若年期の効用が16、高齢期の効用が0なら、こちらの組み合せが望ましいことになります。やや、不自然と考えられないこともないでしょう。 もう一つの時間選好率 困ったことに、経済学には、もう一つ別の時間選好率という概念があります。良く似ているので、混同されかねません。しかし、理解しておくと便利な概念でもあります。テキストにはないのですが、ここで、説明をしておきます。 出発点は、最初に示した効用関数です。 U=(C1、C2・・・・Cn) 一般的にいえば、t期の実質消費を1単位減らしたとき、s期の実質消費を何単位か増やせば、効用を変化させずに済みます。増やさなければならないs期の消費をx単位としましょう。このときxの(s-t)乗根を計算することが出来ます。この値から1を引いたものも時間選好率と呼ばれます。 もう少し直感的にこの概念を捉えるために、t=1、s=2の場合を考えましょう。第1期の消費を1単位減らした結果、低下する効用を補うために必要な第2期の消費を1.1単位であるとします。このとき時間選好率を計算してみます。 x=1.1です。s-tは2-1です。 すると、1.1の1乗根は1.1。これから1をさしひくと0.1です。1期につき1割増やせば、つまり元の消費より時間選好率分だけ多い消費財で最初の消費の低下を補うことが出来るという意味です。 さて、第1期の消費が多く、第2期の消費が少ないとします。限界効用が逓減することを考えるとこのとき、第1期の消費が1単位減っても効用はあまり減らないでしょう。一方、第2期の消費を1単位増やすことにより、効用は相当増えると見込まれます。したって、この場合、第1期に消費が減ったことを補うために増やすべき消費は、大きくないと考えられます。したがって、時間の選好率は、小さいと考えていいでしょう。さらに第一期の消費を減らし、第2期の消費を増やしていくと、時間選好率はだんだん大きくなっていくと考えられます。 以下では、説明のためにテキストにある時間選好率を、便宜的に「効用の時間選好率」とここで説明した時間選好率を、「消費の時間選好率」と名づけることにします。正式な学術用語ではありませんから、他では使わないで下さい。 「効用の時間選好率」と「消費の時間選好率」の差は、こういうことです。 まず、「効用の時間選好率」は、各期の効用から効用が決まるという特定の形の効用関数を考えたとき成立する概念です。この形を取らない場合には、概念としても成立しません。次に、各期の効用に関するもので、効用全体に掛けられるものです。さらに、各期の効用の水準がどうであれ、変化しないと仮定されています。「消費の時間選好率」は、特定の形の効用関数を前提としていません。消費によって効用が決まるという考えに立つ限り、必ず成立する概念です。その意味で、こちらのほうが一般的な概念なのです。また、これは各期の消費に関連するもので、限界効用に掛けられるものです。したがって、各期の消費量が変化するとこの率は変化します。 さて、二つの時間選好率は異なるものですが、似通っており、無関係ではありません。そこで、テキストにある効用関数を前提にすると、両者にどのような関係があるかを検討してみましょう。 計算をするために、記号を決めなければなりません。「消費の時間選好率」をλで表します。 第1期の消費を△c1減らし、その代わり第2期の消費を△c2増やすことによって、効用を変化させなかったというケースを考えてみます。 定義により、λ≡(△c2/△c1)-1です。 さて、(2.11)の効用関数で、このケースを考えると、次の式が成り立ちます。右辺は第1期の消費の減少に基づく効用の減少を左辺は第2期の消費の増加に伴う効用の増加です。 △c1×u'(c1)=(△c2×u'(c2))÷(1+ρ) 両辺を△c1×u'(c2)で割り、さらに(1+ρ)を掛けます。 u'(c1)/u'(c2)×(1+ρ)=(△c2/△c1) したがって、 λ≡(△c2/△c1)-1=u'(c1)/u'(c2)×(1+ρ)-1【1】 です。 テキストの効用関数では、「消費の時間選好率」と「効用の時間選好率」の間に、【1】の関係が成立しています。 人気blogランキングでは「社会科学」の36位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング