ナショナル ミニマムと地方分権

研究メモ(http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061013)で、議論されているナショナル ミニマムと地方分権の関係。この二つが正しいことは自明のこと様に扱われがちです。しかし、この二つ、本来はなじみがいいものではありません。

一つの例を挙げてみます。基礎的な医療保険、小学校、中学校での教育がナショナル ミニマムであることは、まず異論のないことです。これらは全国的に一律、あるいは最低水準が定められ、それに必要な財源、人材、設備が整っていなければなりません。

我が村では、みんな元気だから国民健康保険は必要ないとか、我が市では小学校は3年制で十分だか、中学校に通いたければバスに乗って2時間かかる隣の市までいってくれとか、そういうことを言われるようなことがあれば、ナショナル ミニマムが保障されているとは認められません。

ナショナルミニマムである限り、全国的に統一された制度がなければなりません。それを決めるのは、国民の代表である国会であり、細かな実施のための制度を作る責任を負うのは中央政府でしょう。

もし、自治体に実施を委ねるのであれば、やり方についてある程度の裁量は認めるにしても、大綱的な部分では国は自治体を縛らざるを得ず、縛られるというのは何事によらず不愉快なものですから、どうしても自治体職員からは不満が出ます。反面、国は自治体に財源を確保してやらねばなりません。払うものも払わないで義務だけ押しつけるわけには生きません。必要な額を支払わないと60人学級などと言うことになりかねません。「行政サービスの質と量」を確保するために国は、自治体を統制せざるを得ませんし、資金を流さざるを得ないのです。

現在の制度はそういう点から見れば、必然性、合理性を持っています。不愉快さ、杓子定規も必然的に伴うのは確かですが。

市町村議会がそれぞれ独自の制度を作り、市役所などが運用し、その財源はその自治体が完全に自分で負担することにすれば、ナショナルミニマムが満たされる保障はどこにもありません。そこで確保されるのは自治体ミニマムです。

それでいい、それこそ地方主権だという方もいらっしゃるでしょうが、自分の住んでいる市町村で、自分の最低限のニーズが満たされなければ、多分、文句の一つも言われるでしょう。

自治体ミニマムであれば、当然、そもそもどのようなサービス、例えば医療がミニマムなのかどうかという根本的な問題、その質と量をどういうものと考えるかということも含め自治体次第だと言うことになります。自治体の考え方、さらに財政力によって大きな差ができることを容認すべきです。それこそ地方自治地方分権の本質ですから。自治を認めつつ、全国一律などというのは無茶です。

それを認めないのであれば、安易に地方分権などと言うべきではありません。

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