労働供給はなぜ需給に反応しないのか その1

一部門、固定係数生産関数による日本経済の現状の分析の試み その2」に、Rascalさんから「何故、価格調整メカニズムが働かず、労働が過剰になるのかを説明する必要が出てくる」という的確なコメントを頂きました。

なお、「ハロッド・ドーマーの成長理論では資本と労働の非代替性」がその説明になっているとご教示いただきましたが、確かにそうです。気が付いていませんでした。

二つの説明を試みたいと思います。労働供給が実質賃金にあまり反応しない、つまり労働供給の実質賃金弾力性が小さい(あるいはゼロ)であることの説明です。労働力人口を所与として、労働力率が変化しないことを意味しています。実際にはある年齢層の日本の男性の労働力率はほとんど変化しません。

第一に、働くこと自体が社会的なステータスになっている場合です。

このモデルでは、雇用されていない労働者は結婚できないか、結婚できても子供を作れないと仮定しています。「フリーターなんぞに娘をやれるか」という父親を考えても良いですし、「仕事も無い人じゃ結婚相手として考えられない」という女性を考えていただいても結構です。ここに労働者(の大多数)は、結婚することを望むという仮定を追加します。結婚(相手)はお金では買えないので実質賃金は問題になりません。しかし、雇用されているかどうかは、結婚に影響しますので、こちらは問題になります。雇用されている(自営でもかまわないのですが、このモデルでは自営を想定していません。)というステータスが大事なのです。これにより労働者(の大多数)は、実質賃金の如何を問わず働こうとするのです。なお、結婚を続けるためにもこのステータスは必要であると仮定します。

やや話を広げると、雇用されている(働いている)ということが、社会的ステータスを決めるとし、労働者が社会的ステータスを求めると考えれば、結婚と同様の結論に到ります。

金では買えないものが、雇用されることによって手に入れられると言うことです。逆に、自分の財産からの上がりで食えないようではだめだといった社会もありえます。その場合ステータスを維持するために貧しくても(そして働けるのに)聖職者、軍人、判事など建前上は金を求めて働くのではない職業につくことはあっても、食べるためには働かないという選択をする人間が現れる可能性があります。

もっと抽象化していうと買うことができる消費財の量だけによって効用水準がきまるという、ミクロ経済学の一般的な仮定をはずし、しかも身分制度のように経済の中では決まらず外部から与えられているステータスではなく、経済の中で決まるステータスによって正の効用を持つ何かが得られるということです。

普通の商品、利益を求めるために生産される商品が結婚しようとしたり、社会的ステータスを求めることはありません。これとは労働力は違います。

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