rascalさんへのお返事

「ローマー『上級マクロ経済学』 その2」について」にrascalさんからコメントとこのような質問を頂きました。

日本のような経済規模をもつ国をレオンティエフ型の生産関数を用いるモデルで分析できるだろうか?

私の感覚では、現在の日本の分析に、1財(1部門)のレオンティエフ型の生産関数を活用できる局面はあまり多くないのではないかと思います。試してみたことがないので、あくまで感覚です。一方、多部門のレオンティエフ型の生産関数を用いたモデルといえば、産業連関表を用いたもので、これは、現在でも盛んに活用されていますし、今後も利用されつづけるでしょう。

過去にさかのぼると、戦後の混乱期の失業は、需要があっても生産設備がないために発生したと見ることも可能ですから、レオンティエフ型の生産関数で説明することが可能かもしれません。ただ、実際にとられた傾斜生産方式などは、少数ではあるにせよ多部門モデル的な発想に基づくものであったと思います。

こういうことを考えると、レオンティエフ型の生産関数は多部門モデルに親和的な気がします。元来、経済全体の分析を目的として作られたものではないのではないかと思います。もし、これが正しければ、多部門モデルに親和的なのは当然といえば当然でしょう。

今回ご質問に答えようとしてこの問題を考えて一つ疑問を持ちました。

生産技術にある程度固定性がある、つまり資本と労働が互いに代替しにくい分野があるのは事実でしょう。特に設備投資を計画している時点では、資本と労働のさまざまな組み合わせが可能であっても、一旦、特定の設備を設置してしまうと、組み合わせが限定されてしまうと言うことは多いように思います。例えば、鉄鋼を作るための設備はいろいろなタイプが考えられるでしょうが、ある大きさの高炉を作ると決定し、建設を終わってしまえばそこに配置すべき人員はある程度の幅しか変動させられません。操業を停止した場合は労働をゼロにすることは可能ですが、意味はありません。

すると、日本のように経済規模の大きい国を、1財(1部門)の経済をスムーズな生産関数を利用して説明できると言うのは、1財に押し込め、生産者の数を多数にすることによって、モデルを多部門、少数企業にした時に露になる生産技術の固定性を覆い隠しているのではないかなと。

なお、私がソローモデルを新古典派的と感じたのは、生産関数の問題もありますが、むしろ、労働市場での均衡が常に保たれているという仮定、生産されたものは必ず販売できるとの暗黙の仮定が置かれている点です。

レオンティエフ型の生産関数では、暗黙の仮定が満たされ、資本がフル稼働しても失業が発生する可能性がありますから、労働市場での均衡が常に保たれると考えるのは無理があります。そういう意味ではレオンティエフ型の生産関数を使うと、新古典派的なモデルにはなりにくいでしょう。

逆に、スムーズな生産関数を使っても、二つの仮定を置かないモデル、例えばケインズ的なモデルを作ることは可能ですから、こちらは、多用途に使える生産関数なのでしょう。

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