「ローマー『上級マクロ経済学』 その2」について

ローマー『上級マクロ経済学』 その1」に引き続き、ラスカルさんのエントリー「ローマー『上級マクロ経済学』 その2」への便乗エントリーです。

ラスカルさんのおっしゃるとおり、「経済成長の仕組みを考えるためには、(中略)動学的な体系を用いて考えることが必要。その上で、ソローモデルの含意を押さえておくことは、経済成長をめぐる議論を誤らないために有益」でしょう。

このモデルは基本的には、新古典派的であるといえるのではないかと思います。

まず、外生的に与えられた労働供給が、必ず雇用される(一定割合の自然失業があると仮定しても、モデルの基本的性格は変わらないはずです。)と仮定されています。労働市場での不均衡は考えられていない。資本と労働を投入して生産が決まるというモデルの背景には、生産されたものは必ず需要されるとの仮定があります。生産設備はフル稼働、あるいは正常な稼働率を維持できるのです。

次に、生産関数が滑らか(微分可能)であり、規模に関する収穫一定、収穫逓減を前提としていることも、新古典派的と言えるかもしれません。新古典派という言葉を拡張しすぎているかもしれませんけれども。この場合、制度的な問題がない限り不完全競争は想定しにくく、完全競争が予想され、価格メカニズムが順調に働き、マクロ的にも市場は均衡すると考えられているのでしょう。

最後に、貨幣の存在を明示されておらず、貨幣による撹乱も想定されていないので、おそらくは貨幣ヴェール説(二分論)に立っていると思われます。

さてこのようなモデルでは、労働力の成長率をn、生産技術の向上率をgとすると、均衡では

生産Yの成長率はg+n

資本Kの成長率はg+n

一人当たり均衡資本の変化率はゼロ

となります。

 一人当たりで考えると

 一人当たりの生産も一人当たりの資本の成長率もg

となります。

バランスの取れた成長、均斉成長が達成されるわけです。このような経済の見方は、ハロッド・ドーマー型の不安定なモデルの底にあるものとは全く違います。

このモデルで、「家計や企業の行動様式が明らかにされていない」ことは、言い換えると、家計の選好あるいは効用のあり方が明示されていないわけです。特に、貯蓄率が外生とされていることは、必ずしも家計の時間的な選考に基づき貯蓄率が決定されてはいないことにつながります。また、黄金率の状態が必ずしも達成されない以上、このモデルは記述的なモデルです。むしろ、自然には成立しない黄金律を満たすように、政府が行動することを考えているのかもしれません。

感想です。成長モデルが持続的な完全雇用、完全稼動、均一成長を記述すればよかった時代、それで受け入れられた時代、そういう時代に生きられた方はすごく幸せだったのでしょうね。私もそういう時代に生きたかったなぁ。

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