「「会見に出る」ことの不都合について」について

「会見に出る」ことの不都合について」で、シーラカンスさんが、あの一級建築士には、「仕事をするものとしての矜持は・・なかったのか」、「いやしくも仕事をする者として、人の命に関わるような虚偽だけは行うまい、ってのが人間としての最低のエチケット、というか心得、最低限のモラルですよね?」と書かれていました。

今日の国会での参考人質疑を見ていると、あの業界は、そういう矜持、心得、モラルを持っている方々だけで構成されている業界ではない。

買い手である個人と売り手側にいるマンション販売会社、建設業者、設計士の間に商品であるマンションの質についての情報量(要するに手抜きであるかどうかの知識)に大きな差があるときは、市場に任せておいてはだめであるというのが(少なくとも経済学の)常識です。

そのために「建築確認」という仕組みを作って地方自治体が確認をしていたのですが、ここに民間活力を導入して、民間業者の活動を認めた。

このとき、民間確認機関がちゃんと仕事をするかどうか、手抜きをしないかをきちんと確認する仕組みを作っておくべきだったのでしょう。官による事業の規制ですが。

その仕組みが十分でなかったために、現在行われているような「事件が起こってからの対処」をせざるを得なくなっている訳です。事後対処が全く行われていないわけではありません。

さて、私がこの事件に関する報道の中で、一番ショックだったのは、ある自治体の幹部のこの言葉です。記憶だよりなので正確ではありません。

「民間確認機関を認めてから、技術系の職員を採用しなくなったので、今更、自治体ですべての確認をすることは出来ない。」

一旦失われた、組織の能力は簡単には回復しません。権限があるだけでは絵に描いた餅で、その仕事が出来る職員がいなくてはだめなのです。

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