「「会見に出ない」ことの危険」について

「会見に出ない」ことの危険」でシーラカンスさんが、「事象の当事者に釈明の義務があると世間が思っている場合」には「責任を持つ当事者は清水の舞台から飛び降りるつもりで、自らの罪を重く受けとめ、すべてのプライドを捨て、会見で「ワタシの不行き届きです」と謝る」のが一番いい方法ともなりえるというご意見を述べられています。処世術としては、なるほどと思いますが・・・・。

しかし、そう目された側が「自分は当事者ではない。」、「自分に責任はない。」、「自分には釈明の義務はない。」と考えている場合は、どうすればいいのでしょう?

もっと深刻なのは、「自分には責任だけが押しつけられ、責任を果たすだけの手段が与えられていなかった。」と思っている場合でしょう。

会見でそう正直に言ったら袋叩き、謝ればうそをつくことになる。すると沈黙ということになるのですが、すると黙っていることでヒールに仕立て上げられる。

「やむを得ない。ここは形だけは謝っておく他ない。」となるのでしょう。すると、後は心にもないことを、心からそう思っているように演技する力が重要ということになります。まあ、芝居の一つもできないようでは、ある程度以上の地位にはつけないでしょうが。

(時々、「この人は謝り慣れているな~。うまいな~。」と思うことがあるのです。何人かがそろって頭を下げるとき、実にきれいにタイミングがそろい、角度もそろっていて笑えるときがあります。)