国家と社会と経済と

世の中には、個人では対処できない問題がたくさんある。こういう問題を抱えている人たち、いわゆる社会的弱者とは限らない、を支えるのが、強制力、権力を持つ国家とある種の連帯意識や伝統に支えられた社会である。経済は基本的には交換、取引なので起こってしまった問題の解決にはあまり向いていない。

私の頭の中にあるイメージとしては、問題を抱えている人たちを大きな岩とすれば、この岩を国民国家と社会、二つの柱が下から支えている。経済は海の水のようなものだと言える。潮が満ち海水が柱頭を超えてくると、岩に浮力がかかり、二本の柱に係る重みは軽減される。ただ、岩の比重が海水のものより大きいので岩が見えなくなるほど水位が高くなっても、柱に係る重みは全くなくなるわけではない。

経済政策を考えるとき、国家や社会でしか対応できない問題があること、この二つの柱を健全に保つことが大事であることを意識する必要がある。社会政策を考えるとき、経済状況がよくなることが問題を小さくすること、安定した成長を維持することの意義を意識しておくべきだ。

ややこしいのは、経済が発展するとこれまで存在していた社会の存立基盤を崩す傾向があるらしいことだ。社会という柱を支えている地盤が緩んだり、柱そのものがもろくなると、岩の重みは国家により多くかかっていくことになる。そして国家の肥大は、社会を弱めたり、税、社会保険料の増加などのかたちで経済に負荷をかけたりすることになる。新しい連帯のあり方を模索する必要に迫られるが、それは容易ではなさそうだ。

さらに厄介なのは、経済が国民経済といった段階を超えてグローバル経済の段階に移行すると、国民国家が経済活動から財源を調達することが難しくなることだ。所得や資産の捕捉が困難になるだけではなく、移動の激しい金融資産への課税も、工場や拠点を動かしてしまう企業活動への課税も容易ではなくなる。

グローバル政府はまだできないし、グローバルな連帯も未熟だ。まだまだ、やるべきことは多い。

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